第三十三話「醍醐の花見に見立てる」
2025.03.01
贈gift
この世にある美しいものを花に見立てたら──
こんな難問に応えるのは、百戦錬磨のトップデザイナー。そのままでも美しいものを掛け合わせて魅せるのが夢の花屋です。
第三十三話は豊臣秀吉が京都の醍醐寺三宝院で催した「醍醐の花見」に見立てたアレンジメント。手掛けるのは第一園芸のトップデザイナーであり、フローリスト日本一にも輝いた新井光史。
ここからは花屋の店先でオーダーした花の出来上がりを待つような気持ちでお楽しみください。
醍醐の花見とは
豊臣秀吉が慶長3年3月15日(1598年4月20日)に京都・醍醐寺の三宝院裏の山麓で開いた花見の宴が「醍醐の花見」です。
この宴の舞台となった醍醐寺は平安時代前期の貞観 16 年 (874)に開かれた、醍醐山頂一帯の「上醍醐」、山裾の「下醍醐」からなる、およそ200万坪にも及ぶ広大な仏閣です。
しかし、室町時代中期に起こった応仁の乱で多くの堂舎が焼失し、荒廃。
そこから時を経て天下人となった秀吉は、醍醐寺中興の祖である真言宗の僧「義演」に帰依していたことや義演からの依頼もあり、醍醐寺の再興を指揮します。
義演が残した記録によると、花見の前年である慶長2年、秀吉は突如醍醐寺を訪れ、桜を観賞。再び慶長3年2月に花見の下見に訪れ、花見用の御殿の建築や桜の植樹を命じたとされています。短期間の内に、畿内一円から集められたおよそ700本の桜が上醍醐から下醍醐にかけて移植され、御殿のみならず茶屋なども急ぎ建てられました。
そして、3月15日に1,300人を招いたとされる歴史上、最も豪華で盛大な醍醐の花見を催したのです。
この醍醐の花見を行った理由には、天下統一を果たした権力の誇示、設営準備による景気対策、健康問題を抱えていた自身の憂さ晴らしなど、諸説がありますが、事実はわかっていません。
秀吉は花見の5か月後に死去。同じく醍醐寺で秋の紅葉狩りも企画していたとされますが、これは見ることが叶わない幻の宴となりました。
さて、今回のテーマである醍醐の花見では、ここに招かれた人々に注目。新井ならではの表現で、秀吉一世一代の宴に見立てました。
宴のはじまり
最初に用意されたのは松の葉が敷き詰められた器に、はんなりとした「河津桜」のみがアレンジされたもの。
醍醐の花見に招かれたおよそ1,300人の「客」は、三名の男性を除いて全て女性であったとされています。記録に残る醍醐の花見当日の輿(人力で担ぐ乗物)の順は、一番目に北政所、二番目に淀殿、三番目に松丸殿。新井はこの三名を胡蝶蘭に見立てました。
最初に挿したのは秀吉の正室「北政所」に見立てた、サーモンピンクの胡蝶蘭。
正室としての品格や豪気な性格だったともいわれるイメージを、華やかさと凛とした趣があるこの胡蝶蘭で表現しました。
醍醐の花見の逸話に「盃争い」がありますが、これは宴の席で、正室である北政所の次に盃を受ける順番を淀殿と松丸殿が争い、前田利家の正室「まつ」が「歳の順から言えばこの私」と申し出て、その場を収めたというもの。(後の創作との説もあり)
秀吉の跡継ぎである秀頼を産んだことで正室に迫る権勢を誇り、性格は勝気であったとされる淀殿を表すようなエピソードです。
そんな「淀殿」を表すために新井が選んだのは、鮮やかで個性的な柄の複色の胡蝶蘭です。強烈な印象のこの胡蝶蘭はまさに淀殿のよう、とは新井の言葉です。
そして、三番目に挿したのは、輿の順も三番目の松丸殿に見立てた胡蝶蘭です。
松丸殿は秀吉の寵愛を受け、淀殿に次ぐ権勢を誇った人物ですが、前出の「盃争い」で淀殿の先を越そうとしたのは、淀殿よりも家柄が上、という言い分だったとか。
たいへんな美女だったとされ、高い家柄出身であった松丸殿をイメージして、華やかな中にも品のある胡蝶蘭が選ばれました。
3つの胡蝶蘭の後に挿したのは、秀吉に見立てた「フリチラリア・メレアグリス」。
宴の主役は女性たちということで、胡蝶蘭を愛でるようにあえて後ろに挿しています。
このフリチラリア・メレアグリスは、秀吉の晩年を表すような華奢な姿をしていますが、よく見ると花弁には独特な模様が入り、派手好みの秀吉の趣をたたえた花です。
小さな「オーニソガラム」は秀吉の三男であり、淀殿の二番目の子である秀頼に見立てたもの。
この宴のとき、秀頼は満年齢で4歳。父母の間に置かれた、小さな白い花があどけなさを表しているようです。
最後に挿された花は「ミニアイリス」です。
この宴に招かれた唯一の成人男性、前田利家に見立てられました。政治色が強くなることを避けるために男性は招かれませんでしたが、前田利家だけは家族同然の付き合いだったため例外として招かれたという説もあるようです。
完成、醍醐の花見に見立てたアレンジメント
醍醐の花見に見立てたアレンジメントが完成しました。
「お花見シーズンも目前ということで、醍醐の花見に見立てたアレンジメントを思いつきました。桜だけですとただの花見になってしまうので、そこに集った人々も花に見立てることにしました」
「桜の下で、秀吉たちが集っている様子を表現しています。実際の花見のように、桜に対して人はぐっと小さくしたいと思いました。秀吉、秀頼、北政所、淀殿、松丸殿、前田利家、それぞれの個性を表現できる小ぶりな花を選ぶのは楽しくもありましたが、かなり苦労しました」
新井が秀吉に見立てた、このフリチラリア・メレアグリスを見ていると、醍醐の花見の本当の目的は、単に身近な女性達への労いであったのかもしれないとも思うのです。
お花見の余興のごとく、即興で醍醐の花見に見立てたブーケの制作がはじまりました。
セオリー通りであればブーケには不向きと思われる、大きく左右に広がった桜の枝を使うようです。
シンビジウムやアカシアの枝を合わせていきます。
紫の花は蘭の一種の「バンダ」。アレンジメントでは松丸殿に見立てた蘭も加わります。
淀殿に見立てた蘭も加わり、もうすぐ完成です。
醍醐の花見に見立てたブーケ
醍醐の花見に見立てたブーケです。
たった1本の桜をたくさんの蘭が引き立てる、たいへん豪華なブーケです。
今回の花材(一部):桜(河津桜)、胡蝶蘭、松、フリチラリア・メレアグリス、ミニアイリス、オーニソガラム
醍醐の花見に見立てたアレンジメントとブーケはいかがでしたでしょうか。
歴史上に残る花見を新井ならではの解釈で表現した、ユニークな作品でした。誰もが知り、何もせずとも美しい桜は、花を扱う者にとって最も難易度が高いといってもいい花のひとつかもしれません。
ただ桜を主役にするのではなく、史実と逸話からインスピレーションを得て、アレンジメントにストーリーを持たせた、いままでになかった一作となりました。
新井の想像を文字に起こしていく作業は難儀しましたが、花でドラマを形作っていく工程は夢の花屋ならではのユニークな体験でした。
「夢の花屋」ではトップデザイナーならではの、鋭い観察眼や丁寧な仕事が形になる様子まで含めて、お伝えしていきたいと思っております。
こんな見立てが見てみたい…というご希望がございましたら、ぜひメッセージフォームからお便りをお寄せください。
第三十四話予告
次回は志村紀子が登場します。4月1日(火)午前7時に開店予定です。
新井光史 Koji Arai
神戸生まれ。花の生産者としてブラジルへ移住。その後、サンパウロの花屋で働いた経験から、花で表現することの喜びに目覚める。 2008年ジャパンカップ・フラワーデザイン競技会にて優勝、内閣総理大臣賞を受賞し日本一に輝く。2020年Flower Art Awardに保屋松千亜紀(第一園芸)とペアで出場しグランプリを獲得、フランス「アート・フローラル国際コンクール」日本代表となる。2022年FLOWERARTIST EXTENSIONで村上功悦(第一園芸)とペアで出場しグランプリ獲得。 コンペティションのみならず、ウェディングやパーティ装飾、オーダーメイドアレンジメントのご依頼や各種イベントに招致される機会も多く、国内外におけるデモンストレーションやワークショップなど、日本を代表するフラワーデザイナーの一人として、幅広く活動している。 著書に『The Eternal Flower』(StichtingKunstboek)、『花の辞典』『花の本』(雷鳥社)『季節の言葉を表現するフラワーデザイン』(誠文堂新光社)などがある。
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