第三十七話「アングルの『泉』に見立てる」
2025.07.01
贈gift
この世にある美しいものを花に見立てたら──
こんな難問に応えるのは、百戦錬磨のトップデザイナー。そのままでも美しいものを掛け合わせて魅せるのが夢の花屋です。
第三十七話はドミニク・アングルが描いた『泉』に見立てたアレンジメント。手掛けるのは第一園芸のトップデザイナーであり、フローリスト日本一にも輝いた新井光史。
ここからは花屋の店先でオーダーした花の出来上がりを待つような気持ちでお楽しみください。
ドミニク・アングルが描いた『泉』とは
ドミニク・アングルの『泉(La Source)』は、1856年に完成したフランス古典主義絵画の代表作で、現在はパリのオルセー美術館に所蔵されています。画面には、水の入った壺を両手で支え、直立する若い女性の裸体像が描かれており、古代ギリシア彫刻に通じる均整の取れた姿勢と、滑らかな肌の質感が特徴です。
アングルが描く絵画は筆跡を残さず、輪郭線によって形を描き出す手法で描くのが特徴です。こうした手法は、19世紀のフランス美術アカデミーにおいて理想とされた技法であり、画面上に絵具の存在を感じさせず、理想化された美を表現することが高く評価されていました。アングルはその伝統を忠実に受け継ぎ、独自の厳密な線描と構成力によって、絵画を彫刻的とも写真ともいえる精緻な表現で本作品を描いています。
この『泉』は、物語性のある特定のエピソードや人物を描いているわけではなく、象徴的・観念的な主題も持つ作品です。タイトルである「泉」は生命の源の象徴であり、裸体像はアングルが影響を受け、追求した古代ギリシア彫刻を意識した思われる、観念的な理想像として描かれています。
新井光史が花で見立てた「泉」
「〈壺の中から水が流れ出るように花をあしらう〉というアイデアは、花のコンペティション用に作品を制作していたときにふと浮かびました。そのときのテーマは偶然にも「泉」。ですが、当初はアングルの有名な絵画『泉』の存在は、まったく意識していなかったのです。
その作品を制作中、『これはアングルの〈泉〉をモチーフにしているのですか?』と尋ねられたのがきっかけとなり、今回、あらためてアングルの『泉』を意識した作品をつくってみようと思い立ちました」
「アングルの『泉』は、中央に立つ裸婦の姿を際立たせるため、肌色以外の色彩は控えめに描かれています。私はその〈水〉を、生命の象徴として、植物で表現してみたいと考えました」
壺から流れ出る水は、グリーンと白を基調に構成。流れるラインを表現するのに使ったのは『ヒカゲノカズラ』、『グリーンネックレス』、そして『利休草』。さらに、水しぶきのきらめきをイメージして『スモークグラス』が入っています。
「メインの花材には『クレマチス』を選びました。八重咲きと一重咲きを使い分けながら、壺の口元には小さな花を、足元に向かうにつれて大きな花を配置して、立体的な流れと奥行きを感じられるようにしています」
もうひとつの『泉』──ブーケに込めた新たなイメージ
今回はもう一作、『泉』をテーマにしたブーケも制作しました。新井が手にしていたのは『スモークグラス』、『シレネ・グリーンベル』、そして『利休草』。繊細な印象の植物を丁寧に束ね、ひとつのブーケに仕上げていきます。
完成、「泉」に見立てたブーケ
「先に制作したアレンジメントは、アングルの絵画『泉』からインスピレーションを得ていましたが、このブーケは英語の”Fountain”──つまり噴水をイメージして束ねました」
ジュエリーのような存在感を放つ『パフィオ』を中心に据え、シンプルな構成の中で際立たせています。
「前作がさまざまな植物を複雑に組み合わせてデザインしたものだったので、今回は植物そのものの色とかたちを活かし、あえてごくシンプルにまとめました。真夏の手前ならではの、みずみずしさを感じていただけたらと思います」
今回の花材:クレマチス、スモークグラス、紫陽花、利休草、ガーベラ・グリーンスパイク、ホルジューム・ジュパタム、シレネ・グリーンベル、デンファレ、 ヒカゲノカズラ、ナルコラン、グリーンネックレス、アスパラガス・ブルモーサス、リプサリス
『泉』に見立てた花々はいかがでしたでしょうか。
『泉』をテーマにした2つの作品は、それぞれが異なるアプローチでありながら、共通して感じられるのは、植物がまるで清らかな水のように息づいていることです。
アングルの描いた『泉』にインスピレーションを受けて生まれた一作目は、下へ流れ落ちる水の静けさを。そこから派生したブーケは、上へと吹き上がる水のシルエットを。それぞれが対照的な動きでありながら、どちらもみずみずしさと生命力に満ちています。
盛夏の入り口にふさわしい、こころに涼やかさを届けてくれる花々の表現でした。
花毎でご紹介している新井光史の作品
第五十話 夏至の花あしらい「クレマチス」
第三十五話「北斎の波に見立てる」
「夢の花屋」ではトップデザイナーならではの、鋭い観察眼や丁寧な仕事が形になる様子まで含めて、お伝えしていきたいと思っております。
こんな見立てが見てみたい…というご希望がございましたら、ぜひメッセージフォームからお便りをお寄せください。
第三十八話予告
次回は志村紀子が登場します。8月1日(金)午前7時に開店予定です。
新井光史 Koji Arai
神戸生まれ。花の生産者としてブラジルへ移住。その後、サンパウロの花屋で働いた経験から、花で表現することの喜びに目覚める。 2008年ジャパンカップ・フラワーデザイン競技会にて優勝、内閣総理大臣賞を受賞し日本一に輝く。2020年Flower Art Awardに保屋松千亜紀(第一園芸)とペアで出場しグランプリを獲得、フランス「アート・フローラル国際コンクール」日本代表となる。2022年FLOWERARTIST EXTENSIONで村上功悦(第一園芸)とペアで出場しグランプリ獲得。2025年3月に行われたFlower Art Award2025でも川口太聞(第一園芸)とペアで出場しグランプリを獲得した。 コンペティションのみならず、ウェディングやパーティ装飾、オーダーメイドアレンジメントのご依頼や各種イベントに招致される機会も多く、国内外におけるデモンストレーションやワークショップなど、日本を代表するフラワーデザイナーの一人として、幅広く活動している。 著書に『The Eternal Flower』(StichtingKunstboek)、『花の辞典』『花の本』(雷鳥社)『季節の言葉を表現するフラワーデザイン』(誠文堂新光社)などがある。
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