庭の中の人

ガーデナーや研究者、植物愛あふれる人たちが伝える、庭にまつわるインサイドストーリー。

第三十七話 街角の出逢い

2023.10.24

study

日本各地や海外の街中へ出掛けて植物を眺めていると、街角の花壇や飾られた花々、街路樹がその地域の植生や気候に即していて、さながらその街の顔と装いだなと思う。街によっては県の木や市の木を並木にしているところもある。
あなたの街のシンボルの木や花はなんですか。

小学生の頃に習った地球の気候を思い出しながら、自分がいる気候帯を考えつつ街並みを眺めるのが旅行の楽しみの一つだ。
シンガポールの街中で日本ではほとんど見られないレインツリー(アメリカネムノキ)がゆうゆうと枝を広げた並木が続いているのを目の当たりにして、熱帯地域の湯の中を泳ぐような湿度と気温を実感した。

イギリスの田舎道をごとごと揺られているときに車窓から眺めたのは、寂寥感がつのる牧草地とヒースの茂みや岩の転がる風景で、エミリー・ブロンテが描いた荒々しく冷たい風が吹き抜ける「嵐が丘」の世界が冷帯であることを納得した。

日本列島は御存じのとおり縦に長いので、気候も亜熱帯から亜冷帯まで変化する。
沖縄と北海道では生えている植物も全く違う。沖縄那覇の首里城の守礼門から徒歩5分程度の馬場(瑞泉)通りの街路樹はサガリバナだった。
日本では奄美大島以南に自生する、白色または桃色のチアリーダーが持つポンポンのような形の花が夜に咲き、朝には散ってしまう樹木で、琉球王朝時代から沖縄の人々にお国言葉でキーフジまたはジンカキーギーと呼ばれ愛されてきた。
夜に開花すると甘い香りが漂うのだが、通り沿いに住む住民や夜に通り過ぎる人だけがその香りに酔いしれることができるなんて、なんと贅沢で愛すべき道だろうかと思った。

北海道札幌の北海道大学構内を歩いてたら、白い綿毛が次から次へと風に乗ってくるのに出会った。
何の種子の綿毛なのか見回してみるとポプラの枝先に雪が積もったように綿毛のついた種子がついていた。初夏なのにまるで雪景色を見たようで得した気になったが、近隣住民はこの時期になると洗濯物を取り込むときに綿毛を払うのに苦労するのだろうか、クシャミが止まらなくなる人も居るのではなかろうかなどと考えつつ、それもまた風物詩なのだろうなと勝手に納得した。

長野県飯田市の街の中心部にはリンゴの並木道がある。
1947年に発生した飯田大火の復興過程で地元の中学生たちの提案で始まったリンゴ並木は今もなお中学生の手によって守られている。収穫した果実は給食に出て食用となったり、市内の小中学校や福祉施設に提供されたりする。
リンゴの果実を盗られないのかと案内してくれた地域の方に尋ねれば、やはり過去に何度か盗難被害にもあっているそうだ。それでも中学生たちがリンゴの木を守り育て続けるのは伝統ある木々を後輩に伝えたいという思いからだ。自分たちが大切に育てている姿を目にすることで、盗むことを止めるような心になって欲しいと願ってのことだと説明され、街の風景を演出するだけでなく、住まう人々の道徳心を育むという壮大な思いに驚かされた。

四国の高知の街中には路面電車が走っているのだが、停車駅周辺の軌道には芝生や自然に生えたと思われる草花が育っている。
クローバーが繁茂して白く丸い花が密集している部分や、小さな星のような濃い紫色のニワゼキショウがパラパラと広がっている部分などそれぞれで、電車から降りる度に今度はどんな風景だろうかと楽しみになった。
九州の鹿児島でも同じように路面電車の軌道に芝生がはられていて、レッドカーペットならぬグリーンカーペットの上を進むのが楽しかった。

カーペットといえば東京の神宮外苑前のイチョウ並木が紅葉から落葉する風景も見事だ。
頭上も足元も金色に染まった道は踏んでよいものか一瞬戸惑う。
そこかしこで皆が写真を撮ったり落ち葉を手にしたりしているのを見ると、歩くだけで皆が笑顔になれる時間があることの平和さと尊さを感じた。

街並みを彩る植物の恩恵を並べてきたが、街路樹や花壇が良いだけの存在ではないのも確かだ。強い風が吹けば枝が落ちることもある。落ち葉が積もれば足元が滑りやすくもなる。大量の葉が排水溝を詰まらせて水が溢れることもある。季節ごとに花苗を植え替えてやらねば美しさは保てないし、芝生だって刈りこまねばならぬ。

そもそも植物とて永遠の命の持ち主ではないのだ。
並木道に人気のサクラ、染井吉野の寿命は一般的に60~80年と言われている。
染井吉野よりも長生きする樹木であっても、生きている内は枝が伸び、根が広がる。アスファルトやコンクリートの間の限られた空間の中で木が生長を続けるのにも限界がある。1本の木を街の中に植えたなら、その命が尽きるまで手間とコストをかけるしかないのだ。
枝落ちや根が路面を歪ませる危険性を考えると、木々の寿命や生長度合いを考えつつ代替わりを計画的に考える必要もあるのではないか。

手間がかかるなら、コストがかかるなら街中に植物などいらぬと言われるかもしれないが、夏の日差しから我々を守り、車の騒音を軽減させ、排気ガスを吸ってくれるのは植物たちだ。ガラスとアスファルトだけの街並みは歩いても味気ない。私は街ごとに何かしら植わっていてほしいと願う。

次はどこの街でどんな植物に出逢えるだろうか。
南の国の日差しから人々を守る葉の緑、北の国の寒さに耐えてすっくと立ち生きる命の強さ、花の元に人々が集まり微笑みが広がる時、降り立った瞬間に嗚呼帰ってきたと胸熱くさせる風景。そんな風景があって居てくれたら嬉しいのだ。

宮内 元子 みやうち ちかこ(文・2,3,6~8枚目写真)

水戸市植物公園 勤務
元 渋谷区ふれあい植物センター 園長
植物園の温室に住みたいという欲望を拗らせて現職。
今行きたい植物園はドイツのダーレム植物園。