庭の中の人

ガーデナーや研究者、植物愛あふれる人たちが伝える、庭にまつわるインサイドストーリー。

第五十三話 まだ見ぬ陸へ

2025.02.18

study

海を渡る鳥たちは何を信じて飛んでいられるのだろうか。本能に刷り込まれているからとはいえ、そこに不安は欠片もないものなのか。朝、どこかの水辺からまたどこかへと飛んでいく白鳥の群れを眺めながら白い息を吐く。不確かなはずなのに一瞬目の前を通り過ぎたものを最近の我々は鵜呑みにして翻弄され過ぎている気がする。

ガマの穂の綿毛を1本ずつ並べて数を数えてみようなんて、私も最初は本気で口にした訳ではなかった。ただインターネットで「ガマの穂 種子の数」と検索すると10万とか20万とか途方もなく非現実に感じる数が載っている。そんな数、本当なのだろうか?誰かが数えたから書いてあるのかもしれないけれど、自分がこの目で確かに見た訳ではないからなんとなく信憑性が薄い。
一昨年の夏、ドラゴンフルーツの種子を数えた時はイベント開催時間内に数え切れる時間配分の感覚があった。ガマの穂はダメだ。掴みどころが無さすぎる。しかし私と共にやろうと決めてくれた人がいた。こんな嬉しいことはない。やろうという人がいるならやるしかないさ。

そもそもガマとは。湿地にはえる多年草で秋になると20センチ程のフランクフルトのような穂を実らせる。ベルベットのような手触りのこの湿地のソーセージは握り込むとムクムクと泡立つように崩れだし、綿毛が湧き立つように広がる。綿毛の先には約1ミリの長さしかない種子が付いていて、これが水に触れると茎から離れて水中に沈み、春の芽吹きを待つ。この綿毛についた種子が10万から20万粒あるそうだ。これを1本ずつ摘んで数えるなんて想像しただけでも途方に暮れる。

企画してくれた『さいたま水族館』は埼玉の羽生市にある淡水魚専門の水族館で、地元の環境や生物を展示保全している。さらに、主催の埼玉県環境科学国際センターは環境学習施設と環境研究所が一体となった施設だ。12月の末に参加者応募が始まった『県民実験教室 みんなでやれば怖くない!ガマの穂の種子を数える できるところまでやってみよう』には午前午後合わせて延べ117名が参加した。

予め11㎝と小ぶりなガマの穂を1本分解して、小さな保存袋に綿毛付きの種子を小分けにした。A4用紙のマス目に両面テープを貼り付けられたものも用意。両面テープを剥がした上に綿毛を100粒ずつ貼り付ける計測用紙だ。
参加者は各々やりやすい方法で綿毛や種子をピンセットで摘み貼り付けていく。種子の中にはルーペや実体顕微鏡で拡大してみないと綿毛の先に種子がまだ付いているのか分からないものや、そもそも成熟していく段階で未発達の萎えたものも多く混ざっており、慣れないうちは何を選べばいいのか分からず、慣れてくると目も疲れてくるという苦行だった。

9時半から始まった作業だが11時20分の時点で、並べられた種子の数は13,000粒。
午前の部が終了時点で19,000粒。
企画側が想像していたよりも早く進んでいることに興奮が隠せない。
午後には水族館のスタッフも、司会進行役のセンタースタッフもテーブルに齧り付き、もくもくとピンセットを動かした。
13時半で23.000粒。
この時点でもともと分解途中だったガマの穂の茎がみえてきて、小分けにする綿毛の終わりが近付いた。
14時36分で35,000粒。
16時の作業終了時間に参加者全員で数え上げたのが47,000粒だった。
1本のガマの穂の種子がおよそ10万粒だとすると、約半分を1日で並べ切ったことになる。人海作戦の勝利だ。

一つ一つのテーブルを回り、参加者の方々に話しかける。どうしてこんな企画に応募してくれちゃったんですか?返ってきた答えはさまざまだった。

「お正月に近所でガマの穂を子供と爆発させるのが楽しみだったから。それを数えるなんて想像もつかなくて、だからやってみようと思って」

「実は昨日まで一緒にきた子どもには申し込んだことを黙ってたんです。でもこんな意味があるのかないのか訳が分からない事をやるのも人生では面白いもんだよって伝えたくて。やってる最中もずっとなんでこんな事を、ってブツブツ言ってるけど、でも一緒にいてくれる優しい子なんです」

「宮内さんがやろうっていうならやらなくちゃって思ったの」

「さっきラジオの生中継やってたでしょ。それを聴いて近くだから覗きにきてみたの。シート1枚はやって帰るわね、こんな面白いことやってたのね」

「久しぶり、私のことわかる?」

まだ首も座っていないお子さんを胸に抱いてピンセットを動かす人、50個並べられたから気分転換してくるね!と言って外に走っていく小学生、お母さんの言葉に苦笑いしながらずっと手を動かしている大学生、これからサッカー教室だから先に帰っちゃってごめんね、でも100個並べたよと笑った小学生、黙って予約して来てくれたので10年ぶりにどっきり再会した私の短大時代の友人、イベントのたびに来てくれるようになったのでなんとなくチーム宮内のような気分になってきた常連の人、「私、今日、誕生日なんです」とひっそり笑った人。
会場の皆にバースデーガールの存在を知らせたら、お誕生日の歌を誰かが歌い始めた。おめでとう!と拍手があがる。

鳥達が何を信じて海を渡れるのか私は知らない。でも、私が何を信じているかの答えはあった。私は己れの手と目から得られる答えによって、科学の一端に触れようと呼びかけたけれど、それ以上に誰かと繋がり、その時間を楽しみ喜びを分かち合う事で生きる理由の欠片を拾い、人の優しさを信じているのだ。あの会場で確かに私は見えぬ陸を目指していても心から幸せだった。
人の望みの喜びは綿毛と共に飛んでくる。ガマの穂の種子は今回全てを数えきれなかった。
シートと共に小分けにした綿毛がまだ残っている。やり切った先に何かの答えがあると信じている。

やるよ。やりきろうよ。だから、また来てね。

宮内 元子 みやうち ちかこ(文・写真 1、3枚目除く)

水戸市植物公園 勤務
元 渋谷区ふれあい植物センター 園長
植物園の温室に住みたいという欲望を拗らせて現職。
今行きたい植物園はドイツのダーレム植物園。