庭の中の人

ガーデナーや研究者、植物愛あふれる人たちが伝える、庭にまつわるインサイドストーリー。

第五十五話 あの町この街

2025.04.20

study

人生で13回目の引っ越しをした。
親元を離れる時には布団袋1個と段ボール3箱でぴょっと飛び出したのに、今や段ボールの数は190箱まで膨れ上がった。前回、東京から水戸に移住した時には150箱だったのに、たったの3年で40箱も増えている。大人2人の引っ越しだと一般的には50から60箱くらいらしいと知り、段ボールに囲まれながら呆然である。
190箱の中には植物も含まれる。東京に出てきた年に通りがかりの花屋で『ハオルチア・オブツーサ』という多肉植物に出会った。それまで図鑑でしか見たことのなかった憧れの植物が目の前に実在していることに大興奮して、引っ越し代でスカンピンになっていた懐を叩いて購入したのを昨日のことのように思い出す。
葉の先端に窓と呼ばれる透明な部分があり、光が透けるハオルチアは植物の宝石とも呼ばれることもある。あれから何度もハオルチアと共に転居を繰り返してきた。

植物にとっての引っ越しといえば植え替え作業だろう。地面に植えられている植物の場所を変えたり、植木鉢を変更したりすることがある。
特に植木鉢の場合は、植え替えを行わないと鉢の中で伸びた根が行き場を無くすし、土と相性がわるいこともあるので、人が健康診断を年に一回受けるように、植物の調子を知るために定期的に鉢から抜いて根の伸び具合を観察するのがよいだろう。
根がしっかり伸びて植木鉢に沿った形になっているのを「根鉢」といい、手で優しく揉むと根が抱いている土がほろほろと崩れるくらいがちょうど良い成長具合だ。
逆に根が混みすぎて解れなくなっていたり、土が少なくなっているのは植え替え不足。1年以上植え替えをしていなかったのに、鉢から抜いてみると鉢の上部から三分の一程しか根が伸びていないような状態は、土との相性や通気性が悪い状況だと考えたほうがいい。この場合は土の粒子が細かくなり過ぎ、水が溜まりやすい状態になっている可能性がある。使用する用土に水捌けのよい土を混ぜたり、ふるいを使って粉状になりかけている土を選り分ける必要がある。

植木鉢を返し、手のひらの中に植物を受け止めながら鉢から抜いていくと、植物と土が健康な状態の時には健やかな土の香りがする。何か調子が悪い時には蒸れた古い水の匂いがしたり、何かが発酵不良な匂いがする。
さらに、鉢から出した株の根が植木鉢の形になっていても、鉢の底に開いた水抜き穴の部分は根も詰まらずに空間があいているほうがいい。
植物の種類にもよるが、多くの植物にとって根は地下でまっすぐに伸びるわけではなくて地上部の枝葉の広がりと同じように周囲へ広がっていくのが良好な伸び方なのだ。
鉢から抜いた株を、水抜き穴の空間部分から指を入れて柔らかく揺すると土が崩れて根を広げることができる。その時、根の先端が白いと健康優良の状態。白い元気な根に触らないように気を付けながら、新しい土の中に植えこんでいく。
土とともに屑になってぶちぶち切れるのは、枯れた根なので不健康。枯れた根は残しておくと腐ったり、病気の原因になることもあるのでできるだけ取り除くほうがいい。

私はこんな職業のくせにあまり植物に手をかけず、植物の生存本能に頼りっぱなしなので「おつかれさま、いつもわるいね」と呟きながら作業する。
土の感触、香り、植物の根の状態、葉の色。触れてみないとわからないことは沢山ある。急いでいても乱暴にひっくり返して株を抜くよりは、包み込むように、そっと中を覗き込むような心持ちでいようと思いながら作業していると、心の中が静かになって目の前の植物に向き合えるようになってくる。
土を落とした株の根元に新しい芽が出ていたり、地中で球根が分かれ増えていたりするのを発見する。多肉植物であれば落ちた葉や枝から簡単に発根して小さい株ができやすいので、株を増やす気がなくても勝手に増えていく。置き場がないのに発根した小さな株を捨てることができずに拾い上げてしまう。誰かお裾分けできる人いないかなんて思いながら、植木鉢に植え替えてまた育て始めてしまうのだ。

人間の家を選ぶときにも間取りや日当たり、立地の良さなど色々なことが決め手になる。植物はこちらの都合で右から左へ移動させられるから、次はどんなところへ動かされるのかと、どきどきしているだろうか。
見た目のよさだけではなくて住み心地のよい鉢に植えてやりたいと思いながら鉢選びをするのだが、これもなかなかお互いの好みの問題なので難しい。
イギリスの王立植物園キューガーデンのバックヤードで、一枚のシートに穴が開いた突起がずらりと並び、そのシートをくるっと輪にしてピンで留めるだけで鉢になる資材を見たときは、同行していた植物園関係者全員で大興奮だった。使わないときは平らな状態で保管しておけるし、株の大きさに合わせて鉢の大きさをカスタマイズできる。
何よりも鉢の表面全体に開いている突起状の穴が通気口になるため、とても風通しと排水性のよい鉢なのだ。数年後に日本の園芸資材輸入会社が仕入れてくれるようになったので、最近ではどうやら国内でも購入できるようだ。

我が家のベランダに段ボール箱から急いで出した植物たちは新居の居心地をどう感じているだろうか。ころころと住まいを替える同居人に呆れ果てているかもしれない。引っ越してきて約1か月が過ぎた今、新しく葉が出てきた株をみて人間は胸をなでおろしている。人間も引っ越し作業のたびに毎回「もうこりごりだ!」と疲れ果てているので、しばらくはこの土地に植物とともにしっかり根を下ろしたい。

宮内 元子 みやうち ちかこ(文・写真)

神戸市立森林植物園 勤務
元 渋谷区ふれあい植物センター 園長
植物園の温室に住みたいという欲望を拗らせて現職。
今行きたい植物園はドイツのダーレム植物園。