第五十話 露ながら折りてかざさむ
2024.11.22
知study
私が産まれたのは9月9日で、幼いころからなんとなく自分の誕生花は菊の花と思って過ごしてきた。
日本の伝統的な行事を行う五節句のうち、3月3日の上巳の節句は雛祭りとして、5月5日は端午の節句はこどもの日。そして、7月7日は七夕として現代社会でも親しまれているが、9月9日の重陽の節句は他の節句に比べるといまひとつ知名度に欠けるような気がする。菊の花=仏前に供える花というイメージが定着してしまったのも一つの要因だろうか。
そんな中で10月下旬から11月下旬にかけて全国各地の菊花栽培家による展示会は楽しみの一つだ。花の形が大きな肉まんのような厚物。線香花火のように細い花弁が開く管物。象徴としてのインパクトが強い一文字。
普段見かける小菊とは違い、重厚感がある花たちがずらりと並ぶ姿は壮観だ。勝手に自分の誕生日をお祝いしてくれている気になって「うむ、今年も良い出来じゃな」と思いながら愛でるのが楽しい。
渋谷の植物園に勤めていた時、数年間「仕立て菊」を栽培する仕事をした。
1本の苗から出る芽を3本だけ伸ばして育てる3本仕立て。鉢底から花の頂点までの高さを40センチ以内に収めるように、できるだけ小さく育てる福助仕立て。
どちらも花を摘み取った株から伸びた芽を挿し、新たな株を作るところから始まる。年が明けて4月に、この株からまた挿し芽を取り新たな株を作る。何回挿し芽したら気がすむのさ!と言いたかったが、私を指導してくれたその道何十年の達人がそうしろというのだから仕方ない。
挿し芽の生長段階に応じて植木鉢へ移植し、さらに鉢のサイズを大きくしていく。3本仕立ての場合、これぞ!という芽を決めたら3本が綺麗にピシッと分かれるように支柱へ誘引していく。この「ピシッと」が難しい。枝を折るのが怖くてユルユルに誘引すると分かれ目がだらしなくなってしまう。かと言って力をかけすぎるとあっという間にボキッと折れる。
達人は「誘引する日は朝の水やりを控えて枝を緩めたらええんじゃ」と仰るが、それだけでそんなに簡単にはいかず、四苦八苦している内に枝の上部を折ってしまうのだ。
無理です!私には向いてないです!と叫びたくなるのを飲み込みながら、達人の手元を盗み見て作業を続ける。
熊本に伝わる伝統園芸「肥後菊」の栽培は、武士の精神修養として発達した。季節ごとの管理方法の他に、苗の配置から花壇の形式まで記された虎の巻も存在するらしい。
菊をもってして、精神を鍛錬して高い人格や意思を育てるなんて、なんという志の高さだと震えあがるが、確かに古典菊(肥後菊)の栽培は修行のようなものだと思う。枝の誘引作業だけでも武士道のごとく力加減と見極めが必要だ。
誘引後の管理も修業が続く。支柱に沿って伸びていく枝の脇からどんどん新しい芽が出てくる。脇芽を伸ばすと本枝が痩せたり、下の葉が枯れたりするので1週間に3回は芽摘みをしなくてはいけない。伸びた枝も折れやすいので支柱に括らねばならないが、その成長力の早いこと早いこと。おちおち旅行などいけやしない始末である。
逆に福助仕立ての場合、大きくなってくれては困る。葉は大きく、でも草丈は小さく。基準の草丈に収めるために、矮化剤(わいかざい)という薬剤を使用して生長を調整する。薬剤を与えすぎても株が弱るので、これまた塩梅が難しい。
夏中、菊の枝と葉っぱと格闘していると9月の末頃に蕾が見られるようになってくる。花が大きく花びらが乱れやすいので、一輪ずつに輪台という花首に取り付けて花を支えるお皿のようなものを取り付ける作業がある。コンテストや愛好者の集まる展示会に出品する鉢の場合、花全体の見た目を良くするために花びら1枚1枚をピンセットで動かして配置を整える作業もある。
こうして毎日菊と顔を突き合わせながらふと思った。これはお殿様が仕向けた必殺人材育成&掌握術なのではないだろうか。自分の部下たちが仕事と家庭以外にうつつを抜かさないようにするために菊の栽培に専念させるなんて、非行に走る危険のある思春期の青少年を部活動に専念させるのと同じでは?
しかし、それまでの苦労はどこへやら、菊が開花してくれるのは嬉しいものだ。すっと鼻に抜ける清涼感のある菊特有の香りに包まれると、冬から続いた修行ではいた弱音を忘れて達成感が湧いてくる。
栽培指導してくれた達人殿から「1年目にしては良い出来なんじゃないか」と、ねぎらいの言葉をいただいて安堵する。そして、これが最後と思っていた花後にうっかり挿し芽を作ってしまうのだ。ああ来年も菊修業が待っている。