花月暦

日本の文化・歳時記研究家の広田千悦子さんが伝える、
季節の行事と植物の楽しみかたのエッセイ。

第七十七話 「四月 清明 穀雨」

2023.04.05

life

春の目覚め

土から顔をのぞかせている新芽を観察しつつゆっくりと歩くのが楽しみな季節がやってまいりました。

時折、山桜の花びらがはらり、はらりとそよ風に揺られてあちらへ、こちらへと向きを変えて、舞うように地上に降りてきます。

朝はまだ肌寒さが残っている日が多いけれど空気は清らかで、まさに清明という言葉がぴったり。清らかで明るい朝の空気をできるだけ浴びる時間をつくるよう心がけたいと思っています。

今年は何十年もの間、ずっと放置されていた庭とご縁をいただいて、冬の終わりから少しずつ手入れをしています。
長い年月の間、すっかり木に覆われていて、そして住んでいた人が何を植えていたのか誰も覚えていない庭。毎日のように新しい発見があります。

たとえば、ほおずきの新芽に木通(あけび)の蔓。
すっかり水仙だと思い込んでいた緑色の葉はあやめで、ある朝、紫色に色づいたつぼみを開き、大きな花を披露してくれました。

この庭にご縁をいただく少し前に、庭を覆っていた大木は伐採され、ジャングルのような草木も刈り取られて、日当たりはよくなりました。そのおかげでおそらく久しぶりに光を浴びた種や球根が勢いよく芽吹き、力に満ち溢れた姿を見せてくれるのです。

毎年ごとの春の目覚めだけでなく、気の遠くなるほど長い長い眠りから目覚めたものもいるでしょう。
彼らはずっと日の当たらない厳しい条件の中でも命を繋いできたものたちだと思うと、またばっさりと一気に草刈りをしてしまう気分にはなれないのです。

古いものすべてを繋いでいくことは難しいけれど、どんな花が咲いて、どんな草木が生きていたのか、彼らの重ねてきた時間のかけらをほんの少しだけでもうけとることができたらと思います。

誰かが植えた草花が、再び光を浴びて美しく花開くこと。
もともとその地に息づいていた草花が根強く生きていること。

それ自体が素晴らしいことですけれど、何よりはそうしたものは不思議なもので小さな時の重なりを知るのは楽しいことですし、気分は満たされ、豊かな気持ちになるものです。
これは日本の行事や風習、習わしなどに対して私がいつも考えてきたことと似ています。

その庭から見える里山の山桜を仰ぎながら、眠りから覚めるものたちとの出会うほんの少しの春の時間。
自分の中から目覚めるものを感じながら過ごしています。

 

花笠のしつらい

なだらかな山に見立てた笠に年齢を重ね、ゴツゴツとした枝に花を咲かせた吉野桜、遠くからでも目をひく冴え冴えとして見事な色のマサキの新葉、香りのよい樒(しきみ)の葉を添えて花笠をしつらいました。

桜の花が散っていく時期には、疫病や災いが起こりやすいと考えて、様々な地で、花鎮めの祭や鎮花祭と呼ばれる祭りが行われます。

そうした祭りや、初夏などの祭りでは、花笠をかぶり、踊ったり、練り歩くなどの習わしが古くから見られます。

大きな花笠を仕立て、その笠の下に入れば災難を避けるなどの考え方も。

春の草花をいけたり、飾ったりするのも野や山からいただいた草花などには神聖な力が宿っているという考え方が源流にあると言われています。

 

三宝の花御堂

4月8日はお釈迦様の誕生を祝う行事、灌仏会です。
旧暦では、今年は5月27日となります。
花御堂はお寺などで、小さなお堂に花と誕生仏を据えて、甘茶をかけるなどします。

古い時代には山の型を飾っていた時代もあり、これは中国から渡ってきた風習ではありますが、古くからある日本人の山への信仰と結びついているという考え方もあります。

今年は三宝に花を仕込んでみました。依代となるように枝を高く入れたり、裾野に見立てて枝物をさげたり。

自分なりの山型の形になるようにして、三宝の花御堂といたしました。

 

広田千悦子

文筆家。日本の行事・室礼研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい稽古を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。

『花月暦』

『にほんの行事と四季のしつらい』

広田千悦子チャンネル(Youtube)

写真=広田行正