第百三話 「六月 芒種 夏至」
2025.06.05
暮life
梅雨の祝祭
雨足のやわらいだ夕べ、静かに暗闇が降りてきた頃、ぽうと蛍の灯がともります。
それはまるで梅雨時の小さな祝祭のよう。
一年のうち、この時期だけに姿を現すこの小さな命は、藍墨色の空気をほのかにゆらして私たちの胸の奥に潜む懐かしさをそっと呼び覚ましましてくれます。
蛍と出会うに一番よいのは、月のない宵。
半夏生の白い葉が足もとを照らす道をふだんとは違う静かな足どりで歩けば、もう特別な時間の扉が開いています。
たとえ蛍の光がひとつしか見えなくても、ゆっくりと光と呼吸を合わせるにつれて
蛍の光は夜空の星々と重なり
時空を越えるひとときへと私たちを誘います。
六月の雨は、ときに重く、ときにやわらかく。
その雨音に寄り添いながら蛍は短い命を過ごし、紫陽花は静かに色を深めてゆきます。
私たちも同じように、限りある時を重ねながら、日々にともる小さな光をみつけ、時には自らもささやかに日々を彩るものでありたいものです。
たおやかな風に揺れる草花、軒を打つ雨の音、暮れなずむ空。
薄暗さが多くなる6月だからこそ
何気ないものの中に宿る豊かさに気づく機会が多くなる──
梅雨時の魅力の一つではないかと思います。
分厚い雲間から差し込むひかりを見つけた時、道端に咲く名のわからぬ草花に息を重ねる時。
何気ないひとつひとつのことに目を向けていくことで日々は温もりを帯びて輝くものです。
どうぞみなさまの歩まれる道にも
やわらかな雨の恵みと
ほのかな光の祝祭がありますように。
サツキと鹿角
古くから行われてきた旧暦の端午の節供は今年は5月31日ですが、古代、この辺りに行われていたのが薬狩です。
薬草だけでなく、鹿の角を採り、生薬にして健康に役立てたといいます。
薬狩に用いられていたのは鹿茸という柔らかな角だったようですが、鹿の角はこの鹿茸だけでなく、自然に落ちた枝角などを煎じるなどして、現在でも生薬として活躍中。
今回は、古の人たちが重ねてきた祈り宿るかたち、鹿の角を立てて時節の花のサツキを添えて、季節の御供花としました。
梅雨の花 十薬
潤う空気の中で繁る草の森の中、十薬の花が光を求めて背丈を伸ばしていました。
繁みから太陽のあたるところに出るまでは長い距離があります。
日当たりのよいところの十薬はしっかりと根を張っているけれど背丈はそれほど高くはありません。
どんなところでもすいすいと枝葉を伸ばし涼しげにしている十薬の力を借りるために
たっぷりとガラスに水を張り、一本一本の趣きを大事に梅雨の花としました。
広田千悦子
文筆家。日本の行事・室礼研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい稽古を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。
写真=広田行正
2018年2月にはじまった広田千悦子さんの「花月暦」は今回の第百三話をもって完結いたします。長らくのご愛読、誠にありがとうございました。
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