夢の花屋

第一園芸のトップデザイナーが、世界中の絶景や名画、自然現象や物質を花で見立てた、
この世でひとつだけの花をあなたに贈る、夢の花屋の開店です。

第三十一話「ヴィーナスの誕生に見立てる」

2025.01.01

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この世にある美しいものを花に見立てたら──
こんな難問に応えるのは、百戦錬磨のトップデザイナー。そのままでも美しいものを掛け合わせて魅せるのが夢の花屋です。
第三十一話はボッティチェッリの描いた「ヴィーナスの誕生」に見立てたアレンジメント。手掛けるのは第一園芸のトップデザイナーであり、フローリスト日本一にも輝いた新井光史。
ここからは花屋の店先でオーダーした花の出来上がりを待つような気持ちでお楽しみください。

ヴィーナスの誕生とは

ルネッサンス期のイタリアの画家サンドロ・ボッティチェッリが1483年頃に描かれたとされる作品です。
ヴィーナスが西風の神ゼピュロスの息を吹きかけられて海を漂流し、キプロス島の岸辺に流れ着く様子が描かれていますが、この時代の芸術のモチーフはキリスト教に由来するものがほとんどで、ヴィーナスの誕生や、同じくボッティチェッリがほぼ同時期に描いた「春(プリマヴェーラ)」のように、古代神話をモチーフにした作品はこの時代には前例がないものだったそうです。
さて、この作品をひもといてみましょう。
描かれた人物は4名。ヴィーナス、西風を司る風神ゼピュロス、ニンフのクローリス、季節と時間の女神ホーラーです。
画面の中央に描かれているのが、ホタテ貝の上に立つヴィーナスです。正確にはコキーユ・サン・ジャックという貝で、愛と美の女神ヴィーナスの象徴でもある豊穣を表しています。時代が異なる他の画家たちが描いたヴィーナスの誕生をモチーフにした作品でも、ヴィーナスはこの貝に乗っていますので、例えるなら七福神が宝船とセットで描かれるのと近しい感じなのかもしれません。
画面、左上にいるのが風神ゼピュロスで、春の訪れを告げる豊穣の風をヴィーナスに吹きかけています。日本でも陰暦2月20日(陽暦3月12日)ごろに吹く西風を「貝寄風(かいよせ)」と呼び、春の季語になっているのは偶然の一致なのでしょうか。
ゼピュロスと一緒にヴィーナスに息を吹きかけているのは、ニンフのクローリスで(後のゼピュロスの妻で花の女神フローラ)、この二人を囲むようにたくさんのバラが描かれています。
そして、右側でヴィーナスを包むマントを持っているのが、季節と時間の女神ホーラー。マントにはヒナギク、ホーラーのドレスにはヤグルマギクが描かれていて、ヴィーナスが春を訪れるのを待ち構えています。


新井光史が花で見立てた、ヴィーナスの誕生

「新春の一作目を意識して作りました。海外では日本ほどお正月に縁起をかつぐ習慣はないと思うのですが、このヴィーナスの誕生をひもといてみると新春のイメージにぴったりだったので、この作品に見立ててみました」

金色に塗られたホタテ貝の前に、ちょっと変わったバラが入っています。

「ヴィーナスに見立てたのは『グリーンアイス』というスプレーバラです。何輪もある花の中で、この一輪だけが貫生花(かんせいか)という、花の中心に2つ目の花が咲く奇形だったんです。ボッティチェッリはヴィーナスを実際にはありえない体つきで描いているので、この一輪を選びました」

「シルバーの葉は『ウエストリンギア』と『コチア』で、風にはらむ淡いグレーの衣をまとったゼピュロスを表しました」

「くすんだピンクの大きな葉は『シンゴニウム』で、ホーラーが持っているマントをイメージしました。自分で言うのもなんですが、よくこれを見つけたなと」

全体を見てみると、ゼピュロスとクローリスの周りにあるバラや、ホーラーが首に巻いている葉を思わせる『ハゴロモジャスミン』などが見て取れます。

「海は『ローズゼラニウム』と『プテリス』で表現しています。絵画の中の配置とは違いますが、肉厚の葉が茂る樹木も描かれていたので『フェイジョア』を加えています」

当初、水色の背景で撮影したのですが、なんとなくイメージと違うということで、白の背景に切り替えました。
実はホタテ貝の前に挿したバラも違っていて、ここではまだ固い小さなつぼみが入っています。新井いわく、固いつぼみに生まれたての意味を持たせたとのこと。
こうした制作の過程で変わっていった表現もぜひご覧いただきたく、この一枚もご紹介しました。


さらにもうひとつ。「ヴィーナスの誕生に見立てたブーケ」

見立ての舞台裏

事前に作り込んだアレンジメントとは別に、ヴィーナスの誕生をイメージしたブーケも作りました。花材はごくシンプルで『イリマ』、ハゴロモジャスミン、スプレーバラのグリーンアイス、ローズゼラニウムだけ。

バラとイリマを組み合わせて、ブーケの土台をつくります。
イリマはハイビスカスの仲間の植物で、ハワイではこの花を使ってレイを作るそうです。

新井はブーケを作るのがとても速くて、ものの数分で形づくってしまいます。

香りのよいローズゼラニウムと、新井が自宅から摘んできたハゴロモジャスミンをたっぷり加えて完成です。

完成、ヴィーナスの誕生に見立てたブーケ

「白とグリーンだけのブーケで、ヴィーナス誕生の初々しさを表現しました。ヨーロッパのウェディングブーケも意識して、ハーブの一種であるローズゼラニウムを加えています」

ヨーロッパでは魔除けの意味を込めて、白の花や香りのあるハーブをブーケに加えるそうです。

「ヴィーナスの誕生は神話がモチーフなので、奇想天外なお話ということもあって、ブーケはかっちり作りこまずに、大らかな雰囲気で仕上げました」

ハゴロモジャスミン、ウエストリンギア、プテリス、アジサイ(ピンク、青)、フェイジョア、ローズゼラニウム、スプレーバラ(グリーンアイス)、紅葉ミナズキ、シンゴニウム(ネオン)、シャリンバイ、イリマ、コチア

ヴィーナスの誕生に見立てたアレンジメントとブーケはいかがでしたでしょうか。新井には「見立て」のアイディアがたくさんあるのですが、新春を彩るということで、いくつもの見立て候補の中からこの「ヴィーナスの誕生」が選ばれました。
新井も言っている通り、ルネッサンスの時代にお正月の概念はなかったと思うのですが、春を待つ気持ちは世界中で揺るぎのないものだと感じた作品でした。


「夢の花屋」ではトップデザイナーならではの、鋭い観察眼や丁寧な仕事が形になる様子まで含めて、お伝えしていきたいと思っております。
こんな見立てが見てみたい…というご希望がございましたら、ぜひメッセージフォームからお便りをお寄せください。

第三十二話予告
次回は志村紀子が登場します。2月1日(土)午前7時に開店予定です。

新井光史 Koji Arai

神戸生まれ。花の生産者としてブラジルへ移住。その後、サンパウロの花屋で働いた経験から、花で表現することの喜びに目覚める。 2008年ジャパンカップ・フラワーデザイン競技会にて優勝、内閣総理大臣賞を受賞し日本一に輝く。2020年Flower Art Awardに保屋松千亜紀(第一園芸)とペアで出場しグランプリを獲得、フランス「アート・フローラル国際コンクール」日本代表となる。2022年FLOWERARTIST EXTENSIONで村上功悦(第一園芸)とペアで出場しグランプリ獲得。 コンペティションのみならず、ウェディングやパーティ装飾、オーダーメイドアレンジメントのご依頼や各種イベントに招致される機会も多く、国内外におけるデモンストレーションやワークショップなど、日本を代表するフラワーデザイナーの一人として、幅広く活動している。 著書に『The Eternal Flower』(StichtingKunstboek)、『花の辞典』『花の本』(雷鳥社)『季節の言葉を表現するフラワーデザイン』(誠文堂新光社)などがある。