庭の中の人

ガーデナーや研究者、植物愛あふれる人たちが伝える、庭にまつわるインサイドストーリー。

第二十五話 私の親方

2022.08.23

study

 

「どう思われますか」

その人は午後3時の休憩になると縁側か軒先に腰を下ろし、その日の仕事を眺めながら穏やかに声をかけてくれる人だった。

大学のカリキュラムの中に京都の庭師達の指導を受け庭園管理を行う授業があり、その庭師たちは自分の現場で使うアルバイト候補を探す。
庭の草抜きをするのに手が早くて、景色を作るのに必要な植物と雑草を見分ける目を持っている、その年の学生の中でちょっと使い勝手がいい。

たぶんそんな理由で大学生の私は親方に声をかけてもらい、京都の街の中を縦横無尽に自転車で走り回りながら、社寺仏閣や個人宅の庭園管理を行うアルバイトに勤しんだ。
朝の8時半から大体5時まで。自転車で乗り付ける事もあれば街角でトラックに拾ってもらい現場まで行く事もある。到着して荷を下ろし、道具を準備しながら施主と挨拶し、庭の様子を確認する。
どれ位の時間配分で、どんなふうに仕上げるか。ざっくり親方が説明してくれるのを聞いて、自分の務めを理解し仕事が始まる。

1日の途中、10時にお茶の時間。お昼休みが12時からあって、3時にまたお茶の時間。その時間に出してもらった茶器をこっそり脇でひっくり返して銘を確認し、ご馳走様とお礼を述べる時に併せて茶菓子と器の組み合わせについて声をかけたり、床の間の掛け軸を縁側から覗き込んで、あれに書いてある言葉はどんな意味だと問う怖いもの知らずの私を、どうやら親方は面白がっていたらしい。
次に行くお宅の亭主のこだわりはどの庭石だとか、自分が気をかけている枝振りはどれだとか、そんな事をぽつぽつ教えてもらえるようになると、骨董趣味がくすぐられてますますアルバイトが面白くなる。

風雅に生きようとすること、こだわりを持つこと、典雅であることを見せつけぬようで感じさせること。
京都の街角に漂う薫りの一部を私は庭の片隅で親方と施主の会話の端々や家屋を通り抜ける風の中から嗅ぎ分けて楽しみ、学業そっちのけで予定を入れて過ごした。
結果、就職活動をまともにしないまま、卒業が近づき、私はぼんやりと親方のもとでまだ仕事が続けたいと夢想したが、手元には置いてもらえなかった。
今になれば、若いのを一匹、面倒みるなど到底無理だったろうとわかるが、私は落胆し、大学のゼミの担当教官が口をきいてくれた造園会社に深く考えず潜り込んだ。そして、1年勤めたあとに、体力も覚悟も足りなくて、逃げるように京都を離れる事を決めた。

転職の為に上京すると親方に報告した日、彼は穏やかな声で「そうですか。自分で決めたなら、女だからとか男だからとかそういうのはこの時代にはもう理由にはならないから、人生を人に任せたりしないように」と言うてくれた。
その言葉の深い意味を理解したのは、それから10年程経ってからで、自分の手元には置いておけない小娘に精一杯の親心をかけてくれたのがあの言葉だったと今になってわかる。

私にとって「親方」は後にも先にもこの人だけだ。

生きれば生きる程己が己の道行きを決めることは苦しく、全ての選択の先には後悔が待ち受けていて、そしてまたその先に進むならばもう振り返らないと腹を括る時、庭の奥で親方が鳴らす鋏の潔い刃音が脳内に響く。

3時のお茶の時間は1日の仕事の仕上げに取り掛かる時間だ。
全体の進捗状況を把握しつつ施主と交流を図りながらその日の仕事の仕上がりを確認する。剪定を済ませ美しく整えられた庭木を見渡しながら最後の一仕事について思案する。
そんな時、問われるのだ。

「あなたはどう思われますか」

親方がどんなつもりその問いを私に投げかけていたのか、今となってはもう分からない。私は軒先で立ち膝をつきつつ、お宅から出されたお茶を頂戴しながら親方の仕事を見やる。

「あの木の後ろの木立を借景にしたから、枝振りを細かく抜いてすっきりさせたのですか?この縁側から眺めた時に、あの石の根元に下草があった方が風景が締まると思ったから、あの羊歯の株を残しました。右のあの木はあれで終わりですか?まだ伸びているように思います」
生意気な口をよくきいたものだと、今になって赤面するが、もう取り返しのつかぬ日々のことだ。親方は私の言葉をうっすら微笑みつつ聴いてくれては、私の質問に答え、仕上げを教え、残り1時間半の仕事を指示してくれた。

あの時間があの問いがあの庭との対峙が私にとって、物を見る事への入り口だった。静かに片膝をつき視点を固め、自分はどう思うかを考える。作者の意図を、それを汲んだ己の思考を、持ち主の意向を、そして、この手が創り出せるかもしれない何かへの期待をそっと胸の内に問いかける。私はどう思うか?相手はどう思うか?私は何を選ぶのか?

私の親方は、東京に生まれ、庭師を志して京都へ出て、京都中の庭を見て歩いて自分が一番良いと思った庭を管理している造園会社に入社し、修行を積んだのち独立した。
いわゆる独り親方という立場で生涯弟子をとらず、時折仲間たちと組んで仕事はするものの、基本的には一人で自分の請け負った庭を管理する京都に根を下ろした庭師だった。
標準語に時々京言葉を交えて穏やかに話す人で、江戸小紋の柄の手拭いが東京生まれらしい朗らかでお洒落な人だった。

京都を離れて8年。秋の始めに電話がなった。
親方の訃報だった。

庭仕事に最高の快晴の空へ親方を見送り、京都で最初に好きになった庭園へ向かった。
七代目小川治兵衛により作庭された山県有朋の別邸で東山を借景に明るく開放的な芝生空間と、琵琶湖疏水の水を引き込んだ軽快な流れを有し京都の近代日本庭園の先駆けといわれる名庭だ。

まだ暑い日差しの中、庭の片隅で目を閉じれば声が聞こえた。

「あなたはどうなさいますか」

葬儀の後、御内儀から包が届いた。親方がいつも腰に下げていた鋸だった。年の瀬が近づくと目立ての腕がいい金物屋に研ぎに出していた愛用の道具。「飯・怪我・道具は自分持ち」と繰り返し言われた職人の覚悟の言葉が思い出される。
私が庭師としてこの鋸を、木の枝に入れることはないだろう。

それでも。

私もまた、この世界のどこかの庭の中の人として生きる他もう無いのだ。


宮内 元子 みやうち ちかこ(文・1~3,5枚目写真)

水戸市植物公園 勤務
元 渋谷区ふれあい植物センター 園長
植物園の温室に住みたいという欲望を拗らせて現職。
今行きたい植物園はドイツのダーレム植物園。