庭の中の人

ガーデナーや研究者、植物愛あふれる人たちが伝える、庭にまつわるインサイドストーリー。

第二十七話 すっきりさっぱり

2022.12.22

study

延々とひざまづきうつむいていながらにして草抜きだけは唯一生産性のある行為だ。草抜きは高尚な作業だから胸を張って勤しめと学び舎で言われた気がするが誰に言われたかはもう覚えていない。ついでに学び舎の出身者は口を動かしていても手も動かせるスキルが身についたら及第点だとも言われた。キャラキャラと乙女達がさえずりながら、一目散に草を抜く風景はかしましく実に牧歌的だった。

履歴書の特技の項目に草抜きと書いて入社したら上司となった人に後に「あんな履歴書初めて見た」と言われたことがある。庭仕事はなんでも好きだが、草抜きがいっとう好きだ。道具を必要とせず己の手だけで作業できる潔さがいい。

範囲を決めて作業をすすめるのもいいし、ふと腰を下ろして誰かと言葉を交わしている時に、手の伸びる範囲の中の草を無意識に抜くのもいい。一心不乱にむしゃむしゃと毟り捲るのもまた一興。終わってふと周囲を見渡すと自分の周りがすっきりしている。無心になって草を抜いている時には気付かない風景がぱっと広がると気分がいいし、足元には抜いた分だけの草の山がある達成感。

サウナで汗を流しすっきりした気分になるのを「ととのう」と表現するらしい。草抜きの済んだ場所を眺めて清々しい気分を味わうのも「ととのう」というやつだと思う。「ととのう:整う」とは実に使い勝手の良い単語だ。悲しみごとや生き進むのに足をとられた時には葱を細かく刻むというストレス解消法があるらしいが、草抜きもストレス解消にもってこいだと思う。しかし植物の見分けがつかない人には何を抜いて何を残すべきか判断がつかないのと、腰に堪えるのが玉に瑕ではある。

四季を通して草抜きに勤しんでいると、目が慣れてくる。雑草とみなし抜くべき植物と残したい植物の成長の段階が見えてくるのだ。小さい芽の段階では抜くべきか残すべきか判断が付かなくても、次のシーズンになるとある程度生長しているために決断がつく。そのうち、若芽の状態でも自然と判別できるようになる。本来ならば残さない「雑草」と呼ぶ植物の新しい顔に気づくことができるようになるのだ。細かく毛が生えているのが特徴の草には幼い芽にも毛があるし、ハート型の葉はそのままの形でミニチュアである。露わになる根や香りにもそれぞれに特徴があり、日ごろ眺めているのは表面だけなのだと改めて気づかされる。深く根付いてしまうと抜けにくい植物もあるので、殖やしたくないならば若芽の内に抜き取るにこしたことはない。芽は若いうちに摘む。

草抜きで出逢うとなんとなく残してやろうかと思うのはチドメグサだ。みずみずしい濃緑色でフキの葉を小さくしたような皿型の葉が蔓に連なり絨毯状に広がる。少しべったりした雰囲気が爽やかな芝生の中にそぐわないため雑草として抜かれることが多いようだが、それなりに風情のある植物だ。名前の由来はこの植物の葉の汁を傷口につけると血が止まることからである。他の植物が根付きにくい、砂っぽく雨のかからない場所でもどうにか頑張って生えたりする健気さが愛しくて残してやろうと思ってしまう。

スミレが思わぬところから芽吹いているのも抜きにくい。スミレの種子にはエライオソームという甘い香りを発する器官がついていて蟻を魅了する。蟻が甘い香りに惹かれて種子を巣へ運び込むために、元の株から離れた場所にスミレは子孫を広げていくことができるのだ。飛び石の隙間やフェンスの基礎などにポツンと出てきたスミレには「花が咲くからいいか」と人間からは恩赦が与えられがちだが、蓄えた食料からあれよあれよという間に芽が出て根が伸びて、おそらく自宅大損壊の被害にあう蟻たちはどの時点で転居を決意するのか気になって仕方ない。家族会議など開催されるのだろうか?スミレが生えた我が家も風雅で悪くないよねなどとは思えそうにない。しかしスミレの種子を家へ持ち帰るなという家訓が蟻一族に浸透することはなさそうなので、これからも私は妙なところから芽吹いたスミレを愛でるし、蟻は種子を持ち帰る。

俯いていると考え事も進む。ぽつぽつと日頃はシャボン玉が吹き出されて風に揺られていくように脳内を流れる事柄を一つずつ掬うよう焦点をあてていると、己の思考回路が急激に冴え渡る瞬間が突如現れる。
あ、あの時のあの人の言葉はこういう意味であったかとか。そうだ、私はこうしたかったのだとか。蟻の気持ちとか。ぱちんぱちんと泡は弾けて飛沫が散ると、天才的だと瞬間には思った閃きはもう跡形もない。それでいいのだろう。あとに残るのは草が抜かれさっぱりした視界と思考が間引かれすっきりした脳内だけ。
いざ、書を捨てよ、草を抜こう。


宮内さんの「庭の中の人」は2023年1月20日(大寒)に掲載いたします。

宮内 元子 みやうち ちかこ(文・写真)

水戸市植物公園 勤務
元 渋谷区ふれあい植物センター 園長
植物園の温室に住みたいという欲望を拗らせて現職。
今行きたい植物園はドイツのダーレム植物園。