庭の中の人

ガーデナーや研究者、植物愛あふれる人たちが伝える、庭にまつわるインサイドストーリー。

第二十八話 たからもの

2023.01.20

study

久しぶりの年末年始の休暇で実家に帰った折に、独り立ちの時には持ち出さなかった荷物の中から宝物箱を持ち帰った。宝物箱といっても宝石や金貨が詰まっている訳ではない。幼少期から集めてきたささやかな思い出が入れられている綺麗なお菓子の缶だ。

久しぶりにその缶を開けてみた。
初めて飼った脱走好きの小鳥の籠にかけていた鍵。
人生最初で多分最後の金メダル。
クラスメイトに誘われて大冒険気分で歩いた街角で拾ったシャンデリアのクリスタル。
後から気づいたけどおそらく想いをよせてくれた子からもらった鉱物の結晶。
楽しみにしていた父からのお土産のブローチ。
異国の地で拾った化石と石器。
どうやって入手したかもう覚えていない鳥の羽根。
大きくて綺麗な木の実。

他愛もない、高価でもなんでもない、そこらに転がしておけば誰かが捨ててしまうかもしれないような物たち。でも自分には価値があるのだ。ここに詰まっている物それぞれに理由がある。

ところで子どもはどうしてドングリに魅力を感じるのだろうか。あなたも幼い頃の宝物の記憶のどこかにドングリが転がっていないだろうか。
艶々で丸々とした形のもの、尖った形をしたもの、たくさん落ちていたり、まったく落ちていなかったり。
何故あんなにも一心不乱に拾ってしまうのか。食用となり貯蔵が効くものの一つを本能で選ぶのだろうか。しかし、もっと単純な魅力があの小さな一粒の中に秘められている気がする。

ちなみに拾ったままのドングリは保存方法を間違えると阿鼻叫喚が待っている。平和に保存する方法は(1)水からドングリを入れて煮沸する。茹で時間は10分以内。それ以上だと割れることが多い。(2)冷凍庫で1週間以上凍らせた後、自然解凍させる。(1)(2)どちらもその後しっかりと乾燥させて保存すると、ドングリの中から虫が大発生するには至らずに済む。

そういえば木の実が実際に貨幣と取引に使われていた文化もあるらしい。
チョコレートの材料となるカカオ豆は中央アメリカのアステカ王国で貨幣として流通し、税や貢物としても収められていたそうだ。
1545年にかかれたナワトル語の記録によると、大きなトマト一つはカカオ豆1粒。七面鳥の卵一つはカカオ豆3粒。よく太った雌の七面鳥1羽は粒のそろったカカオ豆100粒、またはしなびたカカオ豆120粒が貨幣価値だったらしい。

植物の種子を割ると、中に詰まっているのは思いの外シンプルなものだ。
有胚乳種子(ゆうはいにゅうしゅし)の中身は発芽の時に必要な養分である胚乳、発芽すると茎や葉になる幼芽、一般的には種子の皮をやぶり最初に出てくる幼根、臍の緒のように幼根と子芽をつなぐ茎である胚軸の四つのみ。生まれ出るために必要な現実だけだ。
ちなみに、養分を子葉(幼い葉)の中に蓄えているため胚乳を持たぬ無胚乳種子も存在する。
有胚乳種子として挙げられるのはカキ・イネ・ムギ・トウモロコシなど。無胚乳種子としてはインゲンマメやヒマワリがある。

生命の根源である種子は寒さ暑さ、海水や極度の乾燥といった過酷な環境、さらには年月すら超越する。数十メートルに達するようなカシの木でもたった一粒のドングリから生まれ、大古の地層の泥の中から見つけ出されたハスの種子が花を咲かせる。
種子が発芽するのに必要なのは水、酸素、温度のみ。適切な環境が整うとどんな場所であれ発芽が始まってしまう。
一方、種子の保存の実験では、マイナス1度、湿度30%という環境条件で保存していた種子を30年間、5年ごとに発芽率を調べた結果、一定以上の発芽率*を維持できるおおよその期間はダイズ15年、コムギ20年、トマト30年、ソバ70年、キュウリ130年などと推定されたそうだ。

*保存開始時の発芽率85%以上。おおむね60~85%

種子は植物の宝物だ。そしてその種子を人間が蓄え、未来へ繋ごうとする取り組みが日本国内はもちろんのこと世界にもある。
日本のジーンバンク事業**では農業にとって重要な植物遺伝資源が芋や果樹を含めて約23万点が保存されている他に、日本各地の植物園が拠点となり、絶滅危惧植物の種子を収集・保存している。
世界規模だとノルウェーのスヴァールヴァル世界種子貯蔵庫が印象的だ。正式名称は「あらゆる危機に耐えうるように設計された終末の日に備える北極種子貯蔵庫」
永久凍土に築かれた貯蔵庫は最大300万種の種子の保存が前提にされていて、まさに現代版の「ノアの箱舟」といえるだろう。

**国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構

私たちが暮らす、ほぼ青色と緑色の奇跡の星の何処かでは戦火が消えず、命よりも大切なものなど無いはずなのに人間は争い事がやめられない。それでも、同じ人間が種子を保存し続ける事に救いを感じる。

さて、私の宝物箱の中の品々をいつか誰かに譲る日は来るだろうか。
綺麗な羽根をうっとりと見つめ、はるか昔の生物の痕跡をとどめた石ころを前に夢想する、いつかの自分のような小さな人と心が触れ合えれば良いなと思う。無邪気なその掌の中に新たな思い出の品を入れてみたい。


宮内さんの「庭の中の人」は毎月後半の節気に掲載いたします。

宮内 元子 みやうち ちかこ(文・写真)

水戸市植物公園 勤務
元 渋谷区ふれあい植物センター 園長
植物園の温室に住みたいという欲望を拗らせて現職。
今行きたい植物園はドイツのダーレム植物園。