庭の中の人

ガーデナーや研究者、植物愛あふれる人たちが伝える、庭にまつわるインサイドストーリー。

第三十一話 お名前なあに?

2023.04.20

study

Helianthus annuus L.

名があることが、存在の証である。名がなければその存在は曖昧模糊のままだ。それ故、私たちは身の回りの全ての存在に名前をつけて共有している。

植物は現地での名前と共に世界共通の名前をそれぞれが有している。
世界共通の名前を「学名」といい、日本語での名前は「和名」とされる。学名は基本的にラテン語が使用されていて、例えば夏を代表する花のヒマワリの学名はHelianthus annuus L.で、この前半分のHelianthusはヒマワリが属する家族もしくは一族を表す。
人間で言えばファミリーネーム:姓にあたり、私自身でいえば宮内となる。ちなみに、ヒマワリを表す姓Helianthusはギリシア語の太陽と花が語源だ。
下の名前annuusはパーソナルネーム:名であり、元子にあたる。下の名前はその植物の特徴を端的に表したものが多く、葉の淵にギザギザがあるとか、花の色が白いとかそんな意味の場合が多く、ヒマワリの場合は一年性であるという意味のラテン語が由来なので、夏の終わりにはうなだれ枯れてしまう姿を想像させるのだ。
最後の「L」はゴットファーザー:命名者が記されている。ヒマワリの名付け親は世界的な植物分類学者リンネを意味する。日本固有の植物の学名にしばしばみられるのが「Makino」で、これは日本を代表する植物分類学者、牧野富太郎が名付けたからだ。「キンモクセイ(Osmanthus fragrans Lour. var. aurantiacus Makino)」や「ヤマトグサ (Theligonum japonica Okubo et Makino)」も牧野富太郎が名付け親だ。

Nymphaea alba

なぜ学名にラテン語を使用するかというと、使われる機会が大変少なくなってしまった所謂「終わった」言語だからだ。ラテン語は古代ローマ帝国の公用語になったことでヨーロッパ大陸からアフリカ大陸北部とアジアの一部へ伝播し多くの言語に影響を与えたが、今となっては使用する国はバチカン市国のみでほぼ死語となった言語である。
今、私が操る日本語は生きている言葉なのでたとえば「この植物ヤバい」と私が表現するとき、ヤバいとは悪い意味での恐ろしいとか気持ち悪いとかいう意味なのか、若者の表現で素晴らしいとか群を抜いている、といった良い意味ともとれる。
生きている言語は時代によって変化するが、死んでしまった言語は誰にも使われないために意味が変化しない。学名はこの意味が変化しないラテン語を使用して、どの言語を操る人であっても名前の意味を変化させることなく共有する。
白い花は名前も白いままで永遠の存在となる。

とある世界有数の標本貯蔵庫を訪れた時のこと。標本庫を管理する植物分類学者と話をする中で、新しい植物を発見し、自分の名前を学名として残したいという夢はあるか?と問うたことがある。
生物を学ぶ者たちの多くがいつか新種を発見してみたいと願うものだと思っていたからだが、答えは意表をつくものだった。
「そこに在る物が有るものとして記録されることに意味があるから、自分の名前を残す必要はないのです」迷いなく返ってきた答えが私の懐にストンと落ち着いた。
「自分の母親を天へ送った日にもね、庭に咲いていた植物を標本にするために採集していました。自分の名前を残すことはなくても、植物を標本にすることで仕事が残るなら十分です」

Cyclamen persicum Mill.

一方で、牧野富太郎は「雑草という名の植物はない」という言葉を残し、生涯で2500種もの植物に和名、もしくは学名をつけたとされている。
それまで地域ごとにバラバラの名前がついていた植物に日本語で共通の名前をつけたことで共有認識されるようになり、彼が監修発行した牧野植物大辞典によって日本にどれだけの植物があるかを私たちは知ることができるようになった。
牧野博士が日本に自生する植物の存在を名付ける事でその存在を明らかにし、後世の学者はその植物がまだ絶滅せずに生きている事を記録し続けている。どちらも植物という資源を守り抜くのに重要な仕事である。

牧野博士が和名を提唱した植物の中で私が好きなのはシクラメンの別名「カガリビバナ(篝火花)」だ。一般的な名前の「シクラメン」は原種のシクラメンの花後にできる種子の茎がくるくるとコイル状に巻くことから、古典ギリシア語でキクロス/キュクロスという「円」を意味する言葉に由来している。そして、この単語は後に英語の円形を意味するcircleへと変化した。

シクラメンの花を愛でながら種子に思いを馳せるのはもちろん楽しいが、暗闇の中で「ここに咲いているぞ!」と心の中にぽっと明るい火を灯したような気分が味わえるのがこの名前だ。
名は体を表すとはよく言うもので、人の名前もその人の性格や日頃の行動をみていると「なるほどなあ、**さんらしいな」と思うことがあるが、植物の名前だけを知って後々、本物を観察してみると言いえて妙な名前に笑ってしまったり、さすがにこの名前はかわいそうだと思ったりする。

あなたのお名前なあに?名を知ればその植物はあなたにとってもっと近い存在になるはずだ。

宮内 元子 みやうち ちかこ(文・写真)

水戸市植物公園 勤務
元 渋谷区ふれあい植物センター 園長
植物園の温室に住みたいという欲望を拗らせて現職。
今行きたい植物園はドイツのダーレム植物園。