庭の中の人

ガーデナーや研究者、植物愛あふれる人たちが伝える、庭にまつわるインサイドストーリー。

第四十話 支えあう

2024.01.20

study

2024年1月3日の夜に機材遅れや欠航で混乱している空港で搭乗予定の飛行機を待ちながらこの原稿を書いている。1月1日から立て続けに厄災が起こり、不安や悲しみでいっぱいになっているけれど、それでも命あるものは生き続け、厄災に直接まみえなかった者たちは生活を続けていくのだと実感している。

親元を離れて遊学したのち、一人暮らしをしながら仕事をするのに慣れると、いつの間にか肩肘を張って生きるようになった。アフリカのサバンナで生きる動物達のドキュメンタリー映像で観たヌーの大群が通り抜けるような人混みの中で一人きり、弾き飛ばされないように必死になっていた。
だから、自分で全て決めて、踏ん張って立ち続けなければいけないような気がしていたが、ようやく、いつの時も自分は独りではなかった、とやっと気付いた。この世には誰かしら己を支えてくれている人がいるからこそ、こうして生活は成り立っているのだ。

植物は強い雨や風にさらされても、すっくと立ち続けていられることに感心するとことがある。

植物を生態から大まかに分けると、草本(そうほん)植物と木本(もくほん)植物に分けられる。草本植物は地上部が多くの場合1年以内に枯死する植物で、茎は草質または多肉質で木化しない。木本植物は地上部が多年にわたり生存して、茎は木化する。
草本植物は指でつまんで少し力を加えるだけで千切ってしまえる草であっても強い風雨に耐えるだけの強度がある。植物の茎の中で最も多い断面の形は丸型だが、シソ科の植物は四角形だし、カヤツリグサ類は三角形をしている。構造はストロー状になっているものや、柔らかい組織がぎっしり詰まっているものなどさまざまだ。
木本植物は長年かけて巨大に生長する樹木でも、幹の内側は固い組織ではなくフガフガと柔らかい繊維が詰まっているものもある。
このように地上に立つ1本の体の形や構造にも実は細かな違いがあり、まだ解明はされていないが何かしら意味があるのだろう。

よく「バナナの木」と呼んでしまうがバナナは実は草の一種だ。1株のバナナに花が咲き、果実が実ると母体である植物は枯れてしまう。年を越えて何度も開花結実する樹木ではない。とても太い幹に見える部分は葉の根元が重層化していて、家庭用の菜切り包丁でも力をかければ簡単に切り倒すことができる。切り倒した後に切り口を上から見てみると段ボールのような構造をした葉鞘(ようしょう)の重なりになっていて、ペラペラしている1枚の葉だけでは重い果実を支えられる訳がないのに、重なり集まるだけでこんなパワーを発揮するのかと驚く。
わが身を振り返れば自分で立っていたつもりが、誰かしらが幾重にも包み込んでくれていたから今こうして好きにしていられるのだなと殊勝な心持になる。

蔓性植物の自らを支えて上を目指す仕組みも素晴らしい。よく知られているのは蔓全体で巻き付いて伸びていくフジやヘクソカズラ。家や壁を飲み込むように這い上がって広がるキヅタは蔦の先端にタコの脚についているような吸盤が付いている。壁や他の植物の幹にこの吸盤が吸い付いては蔓を支え、次の蔓が伸びていく。棘で他のものに引っかけて登っていくのはノイバラやナワシログミだ。

大地にしがみ付き、自らを支える大きな役割を担っているのは根っこだ。地中で伸びる普通の根を地中根というが、空気中で伸びて役割を果たす根もある。湿地に生える樹木が呼吸するために地上に伸ばす呼吸根が見られるのはラクウショウやオヒルギ、カトレアやコチョウランなどがある。こうした植物は根が植木鉢から這い出てくるが、これは空気中の水分を効率的に吸水して生きるためだ。

生長初めの頃はただ他の植物にしがみ付くだけの根でも次第に着生している樹木の幹に網目状に広がっていき、ついにはその木を絞め殺して生存競争に打ち勝つのはガジュマルやアコウなどのイチジクの仲間たちだ。包み込まれて枯れた植物は腐っていくうちに栄養分となり他の植物の苗床になる。

植物は綿密な計画を立てたり、天才的な閃きによって突然産み出されたりした訳ではなく、種子の落ちた地に根を下ろし、世代を重ねるうちに小さな変化も重なってそれぞれの生き方が進化してきた。

人間が生きてきた中にも生活の知恵や地域に根付いた文化があり発展がある。一人で生きているつもりでも、誰かしらがこの生活を支えてくれている事を忘れずにいるのはなかなか難しいことではあるが、いつかその誰かに巡り合えると信じていたい。植物と違い移動が可能で言葉を交わすことができ、ただ風雨に耐えて生きるのみならず、楽しみや喜びをそこかしこに見出すことができる人間は、自分以外の誰かも支えることができるはずだ。

飛行機が到着したらしくクルーたちが慌ただしく動き始めた。皆がそれぞれに自分の役割を果たして日々を過ごしていく。

自分の存在に何か大きな意味があるとは思わないが、それでも植物が新しい葉を広げながら生長していくように、自分も日々の中で何かに巡り合うことがあるかもしれず、それが誰かの支えになれるかもしれない。だから明日も大地を踏みしめ、手と手を繋ごう。

宮内 元子 みやうち ちかこ(文・写真)

水戸市植物公園 勤務
元 渋谷区ふれあい植物センター 園長
植物園の温室に住みたいという欲望を拗らせて現職。
今行きたい植物園はドイツのダーレム植物園。