庭の中の人

ガーデナーや研究者、植物愛あふれる人たちが伝える、庭にまつわるインサイドストーリー。

第四十四話 テセウスの舟

2024.05.20

study

「植物園の仕事で何が一番大変ですか」という質問をたびたびうける。
大変なことはたくさんあって、どれもこれもどうにもならないのだが中でも一番心苦しいのは花が咲かない時だ。おそらく全国の花のイベント関係者も同じではなかろうか。
イベントの開催時期は人間の都合で先に決めなければいけない。でも、その時期に絶対に咲くかどうかは誰にも分からない。
開催時期が近づくにつれて問い合わせも増えてくる。「花は咲くんですか?」と問われても「蕾はあります」と答えられることもあれば、それ以前の問題で蕾すら付いていないときもある。
想像しただけでも胃がきゅっとなる。花がどんな予定でいるかなんて正直分からない。人間の都合でわいわいやっているのと同じように花にも花の都合があるだろう。気分が乗らないから咲きたくないなんてこともあってもおかしくはないと私は思う。

私の場合、胃を痛めたのはヒスイカズラだった。南国の海を思わせるエメラルドグリーンの花が50~100輪、フジのように垂れ下がってシャンデリアのように咲く、東南アジア原産の常緑蔓性植物だ。
自然界においてまず青色の花が少ないが、その中でも宝石の翡翠の名を冠する色は唯一無二だ。それゆえファンも多く「人生で一度は観たい」「あの色が忘れられない」と植物園を訪れる方も多い。
渋谷の植物園にもヒスイカズラは開園当初から植栽されており、長い長い蔓を縦横無尽に這わせていたが、蕾を出す気配が一向になかった。

春先になると電話が鳴るのが怖くなる。
「そちらにヒスイカズラが植わっていると聞いたが咲くのはいつ頃か?」「今年は咲くのか?」それに対して「うちではまだ一度も咲いたことがないんです」「今年も蕾が見つけられていません」と繰り返し繰り返し答える心苦しさよ。
植物管理スタッフと共に一年中ああでもないこうでもない、他の園ではどんな仕立てだった、どんな場所に植えられていたと知恵を出し合うがどうにもならないものはどうにもならない。お手上げである。

2009年に待望の花第一号が付いた時はもう園の関係者全員でお祭り騒ぎ。たった1房の蕾だったが、一人でも多くの方に見ていただきたいとプレスリリースを出し、毎朝花を眺めては悦に入り、来園者に場所を案内しては感嘆の声に共に喜びを分かち合った。
私は安堵に包まれて、そのまま果ててもいいとさえ思った。さあこれで我が園のヒスイカズラも安泰、これから植物園の目玉の一つとして大いに働いてもらおうと思っていたら、翌年からまた咲かなくなった。

〈いったい、お前は何がしてほしいっていうんだ?不満があるならはっきり言ってくれ。
なに?口がないから喋れない?深夜に枕元へ立ってくれてもいいんだぞ〉

毎年花を咲かせる気があるのかないのか右往左往してみたが、そんなことは植物の自由で人間の事情なんて関係ないなとも思うようになった。

渋谷のヒスイカズラは2020年初春に温室の大規模改修に伴い、私の手で根元から伐って終わりにしたが、どうにも別れることができず、数メートルの蔓を水戸の植物園へ託して挿し木にしてもらった。
何株の苗が根付いたかは不明だが、水戸の温室に根付いたヒスイカズラはしっかり生長し、今年たったの3年目で大量の蕾を付けた。
17年間私を翻弄したヒスイカズラとこうして伸び伸びと生き始めたヒスイカズラは同じDNAを持ちながらも、似て非なる存在だ。

ギリシャの哲学者ヘラクレイトスが「誰しも同じ川に二度と入ることはできない」と語り、プルタルコスは「一つの船の部品が全て置き換えられた時、その船は過去の船と同じものだといえるのか」という疑問を投げている。
ヒスイカズラをのせた船は港を出てしまった。私は私の船をみつけるしかない。
全ての季節の花たちは似ていながらも同じではない。来年は咲くか咲かないのか。それはヒスイカズラの自由だが、また私は蕾を探しておろおろするのだろう。

宮内 元子 みやうち ちかこ(文・写真 )

水戸市植物公園 勤務
元 渋谷区ふれあい植物センター 園長
植物園の温室に住みたいという欲望を拗らせて現職。
今行きたい植物園はドイツのダーレム植物園。