庭の中の人

ガーデナーや研究者、植物愛あふれる人たちが伝える、庭にまつわるインサイドストーリー。

第四十五話 お返事待ってます

2024.06.21

study

手元に2冊の同じ本がある。1冊は自分が家を出る時に持ち出して以来、約20年共に過ごしてきた本で、もう1冊は最近大きな仕事のご褒美にいただいたものだ。
その本を私にくれた人は私が以前からなんとなくシンパシーを感じていた人で、そういう人と本の好みが合っていることがなんとなく嬉しくて久々に読み返してみた。

それはチェコの国民的作家、カレル・チャペックの「園芸家12か月」というエッセイだ。カレル・チャペックはジーナリストとして活動しながら、戯曲・小説・評論・童話など幅広い分野で活躍し、この本も日本以外の十数か国で翻訳が発行されているようだ。
冬の冷たい土いじりに勤しみつつ春を待ちわび、小さな植物の芽に一喜一憂し、夏の水やりに頭を悩ませ、開花に歓喜して、また冬になれば次の年に何を育てるかに頭を悩ませる。
園芸家の1年は万国共通の悩みや喜びがあるのだと知れて嬉しいのと同時に、似たような視点で草花を見つめているのが驚きだった。その視点とは「植物の今を眺めながら、すでに次の季節の事を考えている」ということだ。
秋に木々から葉が舞い落ちる頃、多くの人は1年の終わりを感じるだろうが、チャペックは「秋は葉が出てくる季節だ」と書いている。新しい芽はすでに生長し始めているからだ。

木の枝を切る時、次の枝を伸ばしたい位置や向きを考えて枝に残す芽を選んで剪定したり、咲いた花を眺めながら種子を回収する時期や球根が充実する時期を考えたりする。今を謳歌しながら常に未来を考え、楽しむ気持ちでいられるのが植物と共に生きる喜びだと再確認した。そして、こんな喜びを何度でも味わえるのは言葉が文字として形に残るからだとも思うのだ。

昨今、ペーパーレス、キャッシュレスが推進されてはきたものの、何かあると決まって誰かが口にする「やっぱり紙にしておくのが一番安心よね」に辿り着く。
石に刻むという手もあるが紙の便利さは格別だ。そんな紙も主に植物から作られている。
紀元前200年には中国で紙づくりが始まっていた。樹木の内皮や麻屑、竹を使って紙が作られ、アラブ人が中国の手法を応用して繊維屑から紙を作る方法を開発し、それが19世紀まで続いた。
5千年前のエジプトではパピルスの茎の細長い切片を縦横に直角に並べ、それを水で湿らせ、押しつぶして平らにし乾燥させた。この乾燥させたシートをさらに叩いて目が詰まった状態にして表面を磨き、滑らかにしたものを繋ぎ合わせて巻物にした。英語の紙を意味するpaperはパピルスに由来する言葉だ。

日本の紙幣に使われる主な植物はミツマタとマニラ麻だ。初春に黄色い手毬のような花を咲かせるミツマタは名前のとおり枝が3本に分かれて生長する。
1879年(明治12年)に初めて紙幣用紙の原料として採用されて以来、ずっとミツマタは日本のお金を支えている。

海外でその国の紙幣を手にするとあまりの汚さに驚くことがある。へにゃへにゃくたくたでこれからまだお勤めがあるだろうに大丈夫か?と心配になったりする。
日本の紙幣は一万円札で4~5年程度、五千円と千円札は使用頻度が高いので1~2年が寿命だそうだ。細やかに管理されて、汚れの酷いものは即座に回収されてしまうのだろうが、それでも普段やりとりされる紙幣は心配になるほどボロボロなのを見かけたことがないし、なんならうっかりポケットから出し忘れて洗濯機で回しても乾かせばそれなりに生き返るから凄いと感心する。

日本の紙作りの起源は諸説あるようだが、6世紀初頭には紙漉きが始まったとする伝承もあるらしく、植物の多様性や水の豊かさにも恵まれたこの国には紙文化が根付いているのだろう。
そんな日本でも紙は貴族の嗜好品であった時代もあった。落書きでも書き損じでも何の心配もなく紙にたくさん書けることは贅沢なことだと思う。

書ける植物といえば、繊維や紙とは違うが面白い樹木がある。タラヨウというモチノキ科の高木で大人の掌大の肉厚で照りのある葉が特徴だ。
この木は郵便局の木として東京中央郵便局の前にも植えられていて、葉書の木とも呼ばれる。どうして葉書かというと、葉の裏面に爪楊枝のような先端が尖ったもので傷をつけると跡が黒く浮かび上がってくるからだ。傷跡は葉が茶色くなってもそのまま残る。

そういえばこのコラムが公開されるのは毎月20日前後。郵政省が制定した毎月23日の記念日は「ふみの日」で手紙の楽しさ・受け取る喜びを通じて文字文化を継承する狙いがあるらしい。
カレル・チャペックの本をくれた人にお礼の手紙でも書いてみようか。誰かに読んでほしい本を突然贈りつけるのもいいかもしれない。ページをめくる時も、封筒を開ける時も、想いをのせた紙に触れる時は幸せだ。

 

宮内 元子 みやうち ちかこ(文・写真 )

水戸市植物公園 勤務
元 渋谷区ふれあい植物センター 園長
植物園の温室に住みたいという欲望を拗らせて現職。
今行きたい植物園はドイツのダーレム植物園。