庭の中の人

ガーデナーや研究者、植物愛あふれる人たちが伝える、庭にまつわるインサイドストーリー。

第四十九話 この子なんの子きのこのこ

2024.10.23

study

料金所でチケットもぎりの当番の日。お客さん来ないかなと小窓から外を眺めていたら、植物園出入りの造園屋さんが軽トラで颯爽と現れた。
「あんた、こんなん好きでしょうが」と小窓から差し入れられたのは、湿った土から真っ黒で耳かきの匙を大きくしたようなものがにょきにょきと生えている謎の塊だった。
これなんぞ?
造園屋さんは「きのこだよ。変なもん好きに見せてやろうと思ってよ」とニヤニヤしている。普段は事務所に居るのに今日は不在なのでわざわざ来てくれたらしい。

それは弾力のある真っ黒なきのこで、よく見るとビロードのように細かい毛がはえて、しっとりしていた。4cmほどの大きさで先端が匙状になっている。
調べてみると『テングノメシガイ』という種類だった。漢字で書くと「天狗の飯匙」だが、食用には向かないらしい。
こんな不思議な形をしたものがある日ひょっこり地表に姿を現すなんて、なんて面白いのだろう。これを天狗が使う匙だと表現した名付け親もワクワクしたに違いない。
興奮していろいろな角度から写真を撮っているのを見た造園屋さんは「そんなに喜ぶならあげるよ」と小分けにしてくれた。紙コップに入れてティッシュペーパーを被せておいたら、翌日にはコップの中に黒い胞子が飛び散っていた。

水戸の植物園に移籍して何が楽しいかといえば、渋谷に居た頃には見たこともなかったさまざまな生物に出逢えることだ。
植物園に勤務しているとさまざまな植物を知っていると思われがちだが、実際には図鑑の中でしか見たことのない植物や生物がたくさんいる。
渋谷の園では関りの少なかった林や湿地、畑などが水戸の園では豊富なので、知識だけだった生物の実物に気づくと本当に嬉しい。不思議なことに本物を見たことがなくても、歩いている途中にふと視界に実物が現れると「おや?あれは**じゃないか?」とセンサーが働くのだ。特に菌類は見る機会が少なかったので、春や秋は園内をじっくり巡るのが楽しい。
レストランの前の幹回り3mを超すユリノキにサルノコシカケの仲間が入り、みるみる樹勢が衰えた時には圧倒された。我々が普段目にするのはキノコの成長の中では最終段階に近く、それ以前に地中や他の生物の中で着実に大きくなっているのだ。

いつか見てみたいと思っていた『ツチグリ』に気づいた時も興奮した。地際にポコンと小さいヒトデに包まれた薄茶色のマシュマロのようなものが埋まっている。天候が乾燥している日はただの丸い塊なのに、湿っている日にはこのヒトデのような部分が開き、中の風船のような部分が露わになる。この風船の部分に水滴が落ちると中に詰まった胞子が噴射されるのだ。
愛らしい姿なのできのこ愛好家の間でも人気らしく、様々なグッズのモチーフにされているが、実物は3cmにも満たないので目立たない。

ポップな姿の毒キノコ代表格『ベニテングダケ』はまだお目にかかったことがないのだが、その仲間のテングタケらしきものは園内のとある場所に群生する時期がある。
前日まで全く何もなかった場所の土を押し上げて、大人の掌よりも大きい傘のきのこが出現する。そのまま展示しておきたいが、園内での事故につながる危険があり、生えてくると処分してしまうので、見られるのは本当にタイミングがうまく重なった時だけだ。
誰も気づかないうちに地中で菌糸を伸ばし、生長してきた過程を想像すると自分が目にしている世界なんてちっぽけなものだと改めて気づかされる。

私がどんな生物でも出現の知らせがあると仕事を放り出し嬉々として駆けつけるのが面白いのか、同僚たちからどこの温室の壁に大きいクモが居るだの、園路をイモムシが凄い速さで移動しているぞと声がかかるようになってしまった。さらには、落ちていた初蝉やら、昆虫の抜け殻も事務所に届く。件のテングノメシガイも自宅に持ち帰り乾燥させている。
机の上の瓶と引き出しの中にどんどん虫の翅や抜け殻、ドライフラワーや木の実が溜まっていて自分でもどうしたらいいのか分からない。でも捨てるのは嫌だ。

そういえば、学生時代にシイタケの菌を榾木(ほだぎ)に打ち込むアルバイトをしたことがあった。農家のおじさんがドリルで大人の太もも程の太さの木の枝に2cm程度の穴を開けていく。その隣でシイタケ菌が埋め込まれた駒を木槌で穴に叩き込む。
もたもたしているとおじさんの穴あけのスピードに追いつかず、木の枝に満遍なく駒を打ち込めないのでリズムよく作業しなければいけない。いつの間にかおじさんと私のテンポが噛み合って、ドリル音と木槌の音がセッションのようになった。
あの時打ち込んだシイタケはどれくらい収穫できただろうか。豊作だったら嬉しいな。
人それぞれにさまざまなアルバイト経験があるのだろうが、この職種のバイト経験は聞いたことがない。

まだ野山で出逢ったことのないきのこは沢山たくさんあるが、いつか見つけたいと思っているのは三大珍味の一つといわれるトリュフだ。
何回か食べる機会はあったのだがイマイチ美味しさが理解できなかった。高価だから美味しいと思い込んでいるのか、それとも私が食べたのは本当に美味しくないやつなのか?はたまた私の舌には理解できない味なのか?そんなことより、まるで土塊のようなあれを最初に食べようと思った人の挑戦心がすごい。

なにはともあれ、本当に美味しいと太鼓判を押されたトリュフを食べないと検証ができない。だから、検証のためなら御馳走してやろうという声を私はずっと待ち構えている。

宮内 元子 みやうち ちかこ(文・写真 )

水戸市植物公園 勤務
元 渋谷区ふれあい植物センター 園長
植物園の温室に住みたいという欲望を拗らせて現職。
今行きたい植物園はドイツのダーレム植物園。