第十話「新芽」
2021.03.20
知study
イギリスに留学していた時の話を少しだけ書きたいと思います。当時、学生4人でいかにもイギリスらしい茶色い壁が続くテラスハウスに住んでいました。その家には手ごろな庭もついていましたが、青春を謳歌する学生が、時間をかけて手入れをするはずもなく、芝よりも雑草のほうが目立つ荒れ気味の庭でした。
あるとき、気まぐれに、殺風景な庭に何か植えたら食の足しになるのではないかと思いつき、たまたま冷蔵庫に転がっていた芽の出かけたニンニクを庭の隅の芝生が剥げて土がむき出しになっているところに植えることにしました。安易な考えのもと、時期も何も考えずに植えたニンニクでしたが、みんなで水をあげたりして可愛がっていました。
さて、そこの家の大家さんは気のいいイタリア人夫婦で、春から夏にかけて大家さんのお父さん(推定70歳くらい)が2週に一度ほど、芝刈りをしに来てくれていました。お父さんは全く英語が通じません。「ここにニンニクを植えたの」と伝えても笑顔でうなずくだけ。ちょうどその頃ニンニクは元気に育っていたのですが、学校に行っている間、お父さんが毎回芝生と一緒にニンニクの葉もちょん切ってしまうのでした。
ニンニクのほうも球根なので体力があります。負けずに何度も芽をぐんぐん伸ばしていく。頑張って葉を茂らせる。でも学校から帰ってくると、やっぱり芝生と一緒にニンニクの葉も切られている。「ああ、またダメだった、これじゃあ分球できないよ」とみんなでがっかりすることが続きました。葉が雑草っぽいのかも、と立て札をたててみたり、紐で囲ってみたりしましたが、お父さんには効果なし。いつも一定の長さになると切られてしまうのです。
そんなある日、たまたま学校が休みの日に芝刈りに来たお父さん。イタリア語は出来ないので、身振り手振りで「ココ ニンニク ウエテル。キルノ ダメ!」と何とか伝えることに成功しました。お父さんはニコニコ満面の笑みで「OK、OK!」と、うなずき、芝刈りを開始。ようやく通じたと実感した私は、その後、買い物に出かけました。
そして小一時間後に戻ってきて庭に行くと…やっぱりニンニクの葉はあっさり切られていたのでした。もしかしたら、お父さんが死ぬほどニンニク嫌いだったとか、実は農業のプロフェッショナルで、こんなところにニンニクを植えたってうまくいかないよ、と知っていたとか、なにか理由があったのかもしれません。ちょっぴりショックだったけれど、コントみたいで逆に笑えてきて。結局、その後、ニンニクのことはあきらめ、誰も気に留めることがなくなっていきました。もしかしたら今頃、あの庭では、わんさかニンニクがとれるようになっているかもしれません。
去年の3月に緊急事態宣言が発令され、学校などが一斉休業となり、生活習慣ががらりと変わってしまってから1年が経ちました。そして東日本大震災から今年でちょうど10年。月日が経つのは長いようで短く、本当にあっという間でした。
震災から何か月後かに、だれも住めなくなってしまった町が緑に飲み込まれてしまった風景をテレビで観ました。家も、車も、道路も、雑草やツタが生い茂り、まるでそこに人々が住んでいたことを消し去るかのように自由奔放に植物が覆いつくしていました。植物の生命力や勢いに、驚きと深い悲しみ、そして生きるたくましさを感じたことを忘れません。
去年の3月、緊急事態宣言が発令されていたころ、人のいなくなった渋谷の街でテレビのレポーターが取材をしていた時のこと。人がいない渋谷の街では、人間に替わってネズミたちが闊歩していました。「ネズミがすごいことになっています。怖いです。キャッ!」とレポートしていた女性。人間がいなくなったら、次は自分たちが主役といわんばかりに現れる動物たち。画面越しに動物たちの圧倒的な生きる欲望を感じたのを覚えています。
動植物たちの貪欲な生命力。気が付けばもう新芽が顔を出し、蕾が膨らみ、新たな季節を迎えようとしています。もう春分。季節は人間の営みに関係なく巡ってきます。
寒さを経験しなければ咲かない花がたくさんあります。冬、ガーデナーは春にどんな風景になっているかを想像しながら庭仕事をします。種や球根を植えたり、肥料をやったりします。寒い冬の間、いかに下ごしらえをするかで春の庭の様子が決まります。花々があふれる庭になるように、緑がいきいき茂るようにと。
私たちの心にも春を待ちわびる球根がそっと芽吹いています。冬の間は養分を必死にためているのです。いつか綺麗な花が咲くように。そして切られても切られても負けずに芽を出すニンニクのように強くありたいと願います。
はつやま さちこ
高校卒業後、英国へ留学。ロンドン郊外にあるOaklands CollegeのFloristry学科に在籍し、イギリスの国家資格を取得。2008年第一園芸株式会社に入社。ネット事業部を経て緑化事業部へ。各国大使館などを担当していたガーデナー。
現在は子育てのため一旦、退職して家庭生活を満喫中。
好きなことは食べ歩き、無計画旅行。昆虫食推進派。
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