第七十五話 「二月 立春 雨水」
2023.02.04
暮life
月明かりと梅花
めぐる季節の中で、今年もまた立春がやってまいりました。
たとえば人生、100歳まで生きたとしても立春を味わえるのは百回に過ぎません。
もうすぐ春がやってくると胸ふくらませて、言いようのないあたたかな気持ちで立春を迎える、という時間はだれにとっても無限ではありません。
限りがあると思えば存分に感覚をはたらかせて春のきざしを楽しみたいと思うもの。
今年もひとつふたつと春を数えるうちに嬉しい気持ちに包まれる、そんな季節の到来です。
様々な物事のゆくえを先読みし過ぎたり、考えが過ぎて疲れた時には、目の前のささやかなことをひとつひとつ、たからもののように、手のひらに置くように大切に楽しむことがいい薬になります。
たとえば、見慣れた梅の花を月明かりの下で眺めてみるのもよいでしょう。
今の時期はまだ冷たい冬の空気が残る時間と眩しいような春の空の明るさ、ある意味、両極にあるような二つの季節の力を浴びながら歩いていくことになります。
どうしても心や身体は揺れやすく、迷うことも多くなりがちなものです。
春が訪れるのと同じように、自分も軽やかに歩いていかなくては、と焦ることもありますが、たとえば梅の蕾を眺めていると開きそうでいて、なかなか開きません。
時が熟するのを待っています。同じ枝についている蕾も開く時期は違います。
私たち人間も同じように、自分の中で何かが蕾になり、時がくれば花開き、そして熟す、それを繰り返し生きています。
誰かのために蕾をつけるわけでもなく誰かのために花開くわけでもない。
自分のために自然にそうしているだけです。
人の心を動かすかたちというのは、その人自身が満足しているものがかたちにあらわれた時なのでしょう。
厳しい凛とした冷気の中、月明かりの下、梅の蕾を観る時ももう直、過ぎ去っていきます。
今年もさまざまな思いとともに季節をあるいていければと思います。
椿と過ごす
椿の枝を流れるままに手焙りに入れて、縁側に。
一枝でもどっしりとした存在感のある花、椿は花合わせに心配りが要ります。
まだ残る冷たい空気と暗さに眩しい春の光。
両方を浴びる中、紅色の椿の花と葉はより一層、艶めいて輝きを放ちます。
道具に捧ぐ花
節分を過ぎて、御供物を入れた枡に椿の花を入れて。
節分は冬と春の大きな境界線に忍び込む災いと疫病を避けるための行事。
大事な行事に役割を果たしてくれたお道具の枡に感謝の気持ちを込め、赤々と燃えるような花を捧ぐ。
再びめぐる季節がどうぞよいものでありますように。
広田千悦子
文筆家。日本の行事・室礼研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい稽古を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。
写真=広田行正
- 花毎TOP
- 暮 life
- 花月暦