第八十八話 「三月 啓蟄 春分」
2024.03.05
暮life
花の力
日差しが急に強くなり一気に春へと進むかと思えば急な寒さが舞い戻る。
振り子のように季節は大きく揺れつつも春はだんだんと深まる道中にあります。
土に還る前の枯れ葉の積もる山道は、まだふかふかとして、足元にやわらかさが伝わってきます。時折、吹き抜けていく風はひんやり冷たい時も。
それでも梅の花は散り、実りを迎えるためのしたくに入っています。
春蘭、花韮、たんぽぽと足元の花も開きだして少しずつ、華やかになってまいりました。
くぐもるようなウグイスの音もそう時を待たずにのびやかになっていくことでしょう。
それにしてもはじまりの頃と終わりの頃の季節感が大きく異なるのが3月ですね。
冬の気配が消えて春の勢いに圧倒されるような気持ちになり始める頃には今年も山桜や染井吉野が咲き出すでしょう。
この毎年、同じようにくりかえす季節のリズムの下で私たちは日々を紡ぎ、時を重ね、一生を歩いていきます。
約束されたこの季節のリズムとともに芽生え、蕾を膨らませ花開いては散り、土に還っていくのが草木花です。
その草木花は私たちとともにあり、時に道を照らすように、時には自分らしさを呼び戻すように、時にやわらかな姿に心は清められて。
今年もこれからもずっと私たちに力を与え続けてくれることでしょう。
草木花が持っているこの力はきっと同じように私たちの中にもあるのでしょう。
それを時折思い出すためにも新しいめぐりも、草木花とともに歩いていくことができればと思います。
貝の花
暖かな季節になると不思議と人は海へ出たくなります。
そして海で採れるものに人は魅せられてまいりました。
その中の一つが蛤。
大きな蛤を磨いて、金箔を張ったところに花を入れてみます。
鉱物である黄金が放つ光は飽きることのない華やかさ。
その中に椿、桜、白桃、桃花を入れて貝花にします。
永遠に輝く鉱物の光と儚い草木花の取り合わせ。
祈りを捧げるための形に。
桟俵の花御供
新暦の桃の節供を過ぎて旧暦の桃の節供へと向かう道すがら。
桟俵*を拵えて椿、木苺の花と枝を添えてみます。
枝葉は高く入れて神聖な力を宿す依代に。
流し雛だけでなく、お正月のお供物、疫病を祓うための力を宿すと考えられた祭具が桟俵。
多くの混沌や災いのある時代に手を合わせるためのかたちに。
*桟俵(さんだわら)
稲わらを楕円形に編んだもので、俵の両端にかぶせて蓋にするもの。
広田千悦子
文筆家。日本の行事・室礼研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい稽古を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。
写真=広田行正
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