第九十一話 「六月 芒種 夏至」
2024.06.05
暮life
水無月の夜
稲苗はまだ小さくて、田んぼの景色は水鏡。
星までうつる水のそばで、心ゆくまで過ごす時間をつくりたいものです。
栗の枝には真っ白い花がたわわに咲いて近づくとミツバチの羽音が聞こえてまいります。
次第に高くなる湿度は空気や足取りを重くしますから、ほっと息をつくために夜は庭に出てみます。
静かな夜の風に運ばれてくるのはこの時期の花、特有の甘くとろみのある香り。
すいかづら、くちなし、ていかかづらのブレンドの空気です。
その香りを潜り抜けて歩くうちに、いつしか心は緩み、解けて足取りも軽くなってきます。
先月と同じく今年は短い間に忙しなく季節の表情が変わります。
大きな変化が頻繁になり、珍しくなくなると起きていることを受けとめる体力や気力が薄れていく場合があります。
感覚が薄れていくようなめぐりの中にあっても、できる限り自分らしく日々を歩くためには、悲しい時も、嬉しい時も平坦な時もどうありたいかと時折、自分に訪ねることが役に立ちます。
ただそうありたいと願っていても、今のように変化のめぐりが早すぎる時は体力を使い、気づいた時には心が重くなっている時もあるでしょう。
そういう時は気になっているお気に入りの草木花に会いにいきます。
今年、庭で気になっているのは長年、笹藪に囲まれて日が当たらず枯れゆくままになっていた李の木です。
今年は無事に回復して大きな実をいくつかつけてくれました。
この李には、手で押せば簡単に折れてしまうような傷が幹についていますが、その傷の先に新緑を繁らせて、たくさんの花を咲かせ、実をつけました。
そうすることができたのは一本通った軸にしっかりと、水や空気、必要な養分の道が通っているからでしょう。
大きな傷をかかえていても、軸さえ失わずに年月を重ねていくことができれば、枝葉は曲がりながらでも、実りへと道をつないでいくことができます。このことを十分に覚えておきたくて6月は李に会いにいくために、よく庭に出ています。
黒百合と青瓶子
小さな黒百合を群青色の瓶子に入れて。
これは乾いた砂利の中から細い茎を伸ばして、光のあるところへと力強く首を伸ばしていた黒百合です。
触ると意外と硬く、しっかりとした茎、その頂点に小さな黒い蕾をつけていました。
古いガラス製の青い瓶子と濃いえんじ色の黒百合の花がよく合います。
北の花 南の花
大きな白瓶子にツツジとノカンゾウを入れて6月のしつらいに。
ツツジは北海道から届いたもの。
ノカンゾウは久しぶりに咲いた庭の花。
同じ器に入れて、ぶつからないように。
よいところが引き立ちあうように。
別の場所に生きている、そして異なる季節の花の取り合わせ。
違う世界同士の花の出会い。
時折、試みていきたいと思います。
広田千悦子
文筆家。日本の行事・室礼研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい稽古を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。
写真=広田行正
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