第三十六話 「十一月 立冬 小雪」
2019.11.12
暮life
地球照
台風の記憶が残る初冬となりました。
強力な台風の風に散ってしまった帰り花が、再び、桜の枝の先に小さな灯りをともすように咲いています。
すっかり葉を落とした桜の木と、帰り花を仰ぎながら、小春日和。
鎮まる季節のありがたみを、感じているところです。
日が落ちると、夜の星々も澄んだ大気の中でまたたきはじめます。
月も冴え冴えと光り、地球照が美しい日もあります。
地球照(ちきゅうしょう)は、三日月などの影の部分に、地球に反射した太陽の光りがあたることで、まるで月の輪郭が透けているように見える現象のことです。
ダイレクトにあたる太陽の光と、地球に当たってからの間接的な光。
月は二種類の太陽の光りを受けて、美しい姿になります。
地上では、賑やかに鳴いていた虫の音もいつのまにか静かになりました。
ただ、よくよく耳を澄ますと、微かに鳴いている虫がいます。
チッチッチッと小さな小さな声で鳴いているのは、鉦叩(かねたたき)です。
昨年は12月のはじめになっても可愛らしい声が聞こえていました。
樹々が葉を落とし、紅葉も深まるにつれて、美しくなるその音におそらくほとんどの人は気づきません。
立ちどまり、草花の趣きに目を注ぐように、宵の小さな小さなシンフォニーに、今年も耳を澄ませてみたいと思います。
石榴と野菊
晩秋から初冬は果物の実りが嬉しい季節です。
とても美しい石榴が手に入ったので、日々への感謝を込めてお供え物にしました。
お供え物の標として、添える花は盛りの野菊にセイタカアワダチソウを添えて。
この時期の野の花はどれも、心の深みに染み込むような色味があります。
石榴は古くから薬用などに使われ、種が多いことから、子宝や豊穣の象徴として、日本では鬼子母神信仰と結びついています。
インパクトのある朱色の花を夏に咲かせます。
このあたり(三浦半島西海岸)では、菊の節供からほぼ一ヶ月後ぐらいが、野菊の盛りです。大地を這うように咲くこの野菊は、散歩している道の足元を照らします。忙しくなってくると、つい下を向いて歩きがちな日々に、灯りをともしてくれる花です。
セイタカアワダチソウが苦手という人も多いようですが、梔子色(くちなしいろ)が見事な花。咲き始めに魅力があります。
南天の実り
お正月の印象が強い南天の実が、すでに熟し色づいています。
この辺りの自然のものは、鳥が残すところなく、食べてしまうので大事にしたい枝は、熟したら家に入れてしまいます。
南天のど飴など、人間にとっては、古くからある薬。
防腐効果があるとしてお赤飯など、葉はお弁当のあしらいに使います。
ただ、たくさん取ると有毒成分も少しあり、苦みもあるので人間は食べません。
ところが、鳥達は大好きで、油断していると、バケツに水切りをしていた実まで食べにやってきます。
南天の実をお正月飾りや、縁起物に使いたい身としては守るのに必死な訳ですが、鳥達が食べてくれるおかげで、種がまかれ、遠いところで芽をだし、子孫が増えるわけです。
今年は珍しく、鳥達よりも早く実を見つけ、手に入れることができたので、一足早く、土壁に飾ってみました。
苔と紅葉
湿度が長引いたせいか、苔が美しい秋になりました。
初冬に入った今も、道に青みのある苔がまだ残っています。
関東の紅葉はまだだけれど、北海道から色づいた葉が届きました。
台風で折れてしまった松を拾っておいたものと、北国の照り葉を、苔の上にしつらい、さまざまな季節合わせを試みました。
残花
家の前にある仙人草の花が、思いのほか長く咲いて、ずっと玄関前に華やかさを添えてくれていました。ここのところ朝夕の気温の下がり方が、初冬らしくなり、響いたのか、さすがに長く続いた花の勢いに、陰りが見えてきました。
思い切って枝を少し、いただいて、家の中にしつらいました。
残花は一般的には、散り残っている花や、春の終わりに咲き残る桜の花をさしますが、とうに時期を越えた仙人草の花が咲いているのを見るにつけ、これぞ、残花と楽しんでおりました。
第三十六話「十二月 大雪 冬至」へ
今年も一年の大詰めを迎えます。
肌にあたる風が凛としてくる中、色味も形もきりりとして底力のある花が多くなるように思います
広田千悦子
文筆家。日本の文化・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。
写真=広田行正
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