第五十三話 「四月 清明 穀雨」
2021.04.04
暮life
雲の海
雲海ということばが夏の季語として知られているのは信仰のための登山が、夏だったことから。
実際は、車やロープウエイなどで高い山に登った時や、飛行機の窓から眼下を見下ろす時、条件さえ合えば夏に限らず出会うことができます。
雲の切れ間から時折見える町や景色は、思いの外小さくて儚げで、そして輝いています。
地上に降りれば、いいこともそうでないこともあるはずなのに、全てが輝いています。
自分の場所とは、別の時空があるような、そんな思いがよぎります。
飛行機が高度を上げ、雲を突き抜けていくと眼下に広がる雲海は、何度見ても飽きることがありません。
天上の世界にぽっかりと出て、俗世から解き放たれるような感覚に陥ります。
雲海に包まれた幻想的な景色をずっと見ていたいような、眼下に広がっているはずの町や山並みをもっと見たいような。
雲海の隙間から下界が垣間見える度に、心は動きます。
今は、なかなかその飛行機に乗ることも移動もままならない流れが続いて残念なのですが、一つのところに留まる時間が多くなり、自分に向き合う時間が増えている人も多いでしょう。
古くなった衣装や考え方をそろそろ脱ぎ捨てて、雲海の隙間から見え隠れする新しい流れへと歩いていく時が、さまざまな場面で訪れているのでしょうけれど、往々にして今ままでの荷を全部背負ったまま、そして着の身着のまま進みたくなるものです。
過ぎ去ろうとするものを手に抱えたまま、あるいは昔の思考の中にいたまま一生懸命考えていても荷は重く、なかなか望むような道を歩くことができないまま、時は流れていきます。
ただ、荷物を手放すのが難しいときは、無理強いせずに、それほど自分にとって大事なものだったのだ、と自分の気持ちに寄り添うことが欠かせません。
たとえ要領良く効率よく、あるいは力づくで荷を打ち捨てたとしても、自分のペースで進まなければ、結局は同じ道を歩き直すことになるからです。
準備ができ身軽になったら、今まで歩いてきた道にも感謝を伝えます。
雲海から垣間見え、広がる世界をゆったりと見据え、自分の道まで忘れてしまうような流れに、巻き込まれ過ぎぬように、時折、季節と草木花の息吹に呼吸を合わせ、歩いてまいりましょう。
本日は清明。
清らかに雲や霧が晴れていくような、明るい季節がやってきます。
花御堂
4月8日はお釈迦様の誕生を祝う、灌仏会です。
今年は山桜、雪柳、柾木、椿、射干などの時節の草木花で、花御堂を拵えました。
日本の花御堂は、天や山を指し示すような、屋根や山の形をしています。
どんな草木花を使うかにより、趣は大きく変わり、古くは常緑の葉枝を使うことが多かったという説も。
一般的に、灌仏会は仏教行事として知られていますが、時代を遡り、さまざまな風習を眺めていくと、同じ時期に、古くから行われてきたのは田の神、山の神、あるいはご先祖さまをお迎えするための習わしが並んでいて、つながりが見えてきます。
古くからある発想と、外国の宗教である仏教は混じり合い習合して、灌仏会は、さまざまな意味を含む、奥行きのある行事となっています。
花浴仏
花御堂の下に据えた誕生仏に、清らかな水をかけます。お供花には、時節の茱萸の花と、桑の花を添えてみました。
誕生仏は、お釈迦様が誕生したその時、七歩歩いて天と地を差して天上天下唯我独尊といったという伝説に基づくもの。
さらにはこの時、天から竜が香水を降り注いだという逸話により、浴仏の習わしが生まれたと言われています。
もう少し見ていくと、お釈迦様の生誕の地、インドでは川などで頭から水を浴びて、沐浴する習わしがあります。
聖地を訪れる前に、祈る前に、身心と魂を清めるのです。
日本でいうなら、参拝の前の御手水が同じような意味を持つといってよいでしょう。
誕生仏にご香水を頭からかける習わしは、沐浴の習わしと通じているのかもしれません。
ちなみに日本でも古くは、浴仏には香水を用いましたが、江戸時代ぐらいから甘茶になりました。
八重桜となごりの椿
早咲きの河津桜、彼岸桜、染井吉野と続いてきた桜の道も最終章になりました。
八重桜の一様が、幾重にも重なる花びらを豊かに揺らしているのを眺め、初冬から長く親しんできた椿の花にも、また会いましょうと言葉を掛けます。
まだまだそこにあると思い込んでいた草花の歩みは本当に早いもの。
なごりを惜しむまもなく大切な時は流れ、過ぎてゆくことを季節のゆくえから、繰り返し教えてもらいます。
夜桜
染井吉野の貫禄は、夜桜にあり。
満開の花が、ほんのり闇夜を照らすのを眺めます。
さまざまな思いがよぎるのはそのままに。
ただ、たちどまり、ほんの少しでもともに過ごすひとときがあればたくさんの時間がなくてもよいのです。
静かに仰ぐと心地よいのは空や月、夕陽だけでなく、大地や草木花からも語り掛けられているような気配を、きっと感じることでしょう。
五月 立夏 小満へ
桜と同じように早々と薫風が、世の中を心地よく吹き抜けていきそうです。
淀む流れを浄化していくような、心地よい初夏の風に吹かれ、花から若葉へと世界は染まっていきます。
広田千悦子
文筆家。日本の行事・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。
写真=広田行正
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