花月暦

日本の文化・歳時記研究家の広田千悦子さんが伝える、
季節の行事と植物の楽しみかたのエッセイ。

第九話 「芒種のこと」

2018.06.06

life

小満よりさらに夏へと近づいていきます。
芒種は、「芒(のぎ)」のある稲などの種をまく頃、という意味。
稲の種まきとはいっても、昔と比べて田植えが早まっていることから、二十四節気のなかでもイメージしにくい季節のことばです。

七十二候に目を向けてみると、6月5日までが「麦秋至る(むぎのときいたる)」。
やはり同じ芒(のぎ)を持つ植物、「麦」の収穫の時となります。
実りを迎えた秋を思わせるような、黄金色が広がっていて、見慣れた景色を覆すような、初夏の青空と麦秋の景色の取り合わせに心が動きます。

夏に近づきつつも、季節の勢いがスローダウンしていた小満から芒種へと進むうちに、季節の流れはさらにゆったり。

空気のうるおいが増すごとに、軽やかな季節からどっしりとした季節へ。
厚い雲や低くなる空が、人の気持ちを内側へ内側へと導きます。

高い湿度や雨の日が苦手な人も多いと思いますが、梅の実や枇杷の実など、さまざまな植物が実を結んでいくのと歩調を合わせて、力を借りて、きらきらとした開放的な夏を迎える前に静かな季節を堪能しておきたいと思います。

〈稲のお祝い〉 栗の花と稲

旅の途中で田んぼに出会うとほっとします。

日本人の主食をつくってきた大切な場所だから、田んぼにまつわる儀礼もさまざま。
今回は、田の神さまをおまつりする水口(みなくち)祭りにちなみ、小さな稲と栗の花をしつらいました。

実際の水口祭りでは、田んぼの取水口に神さまの依代(よりしろ)として栗やつつじ、椿などの枝をたてるところも。
今、ちょうどその栗が花盛りを迎えています。

栗の花を部屋に持ち込んでみると、その香りと花姿に圧倒されます。
迫力があり、縄文時代から生き続けてきた栗の木の胆力(たんりょく)が伝わってくるようです。その勢いを、青々としたまだ若い稲のそばにお供えして、今年の実りと平安を祈りました。

天にむかって伸びる稲に触れてみると、小さいながらもすっと立つ力に勢いがあります。
つやつやとした水が鏡のように光り、空の雲や青い空を映していく――。
そんな田んぼの景色が浮かんできて、身体中に気持のよい風が通っていきました。

〈ネズミモチ〉花が咲いてはじめてその木を知る

桜や椿のようにおなじみの木ならともかく、詳しい人でない限り、諸々の木を見分けるのは至難の業です。
ただ花が咲いたり、実がなってくると、「ああ、この木だったのか」と目印になることがあります。私にとってこのネズミモチの木がその中のひとつ。花で木を探すのです。

ネズミモチは、幼い頃、初夏にどこからともなく漂ってくる香りが大好きな花でした。
三浦半島に越してきてからというもの、しばらくその思い出の花の木が近くにあることに気づかずにいたのですが、やはり花と香りが目印になってくれました。
ぽろぽろと道にこぼれる小さな花のかわいらしさも一緒。
見つけた時は一気にタイムスリップしたような気持になりました。

やはり、花が教えてくれたのですが、ポルトガルで三浦半島と同じ植生の景色を見たことがあります。
遠く離れたところで同じ植物を見つけると、さまざまな思い出と今の思いが、不意にないまぜになるのでしょうか、慣れ親しんだ日常とは違う感覚に包まれる時となります。

さて、ネズミモチですが、もう少し季節が進み、花のあとになる濃い紫色の可愛らしい果実にも趣きがあります。
古来、不老長寿の生薬と考えられていたというから、秋の実りがまた愉しみです。


第十話「夏至」へ
昼の時間が一番長くなり、夜が短くなる、季節の分かれ道です。
陽と陰がぶつかりあう頃として、心身に用心するという考え方も見られます。
日本は梅雨のまっさかり。雨の季節がやってきます。

広田千悦子

文筆家。日本の文化・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。

写真=広田行正