第六十八話 「七月 小暑 大暑」
2022.07.07
暮life
天の川
ヒグラシの初音を追い越して、勢いよくやってきた猛暑。
突如として現れた厳しい暑さに驚きつつも次第に馴染んでいく、そんな時の流れの中を歩いています。
『人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。』
星野道夫『旅をする木』文藝春秋/1995年
七夕の星空を思いながら、長年、心に刻まれていた星野道夫さんのことばを思い出しています。気持ちのバランスが取りにくい時、薬のように効いてくることばです。
感染症や災害、社会的な課題。さまざまなことが起き続ける時代には、自分らしくおだやかに生きるための工夫がいります。
問題と向き合いながらも、執着しすぎず、無関心にならず、そして諦めもせずというのが理想かもしれませんが、体力も気力もいります。一時ならともかく、長い間続けるのは至難の技。充電と休息の時間が必要です。
一生懸命生きることも大事だけれど休息も同じくらい、もしくはそれ以上に大事。
苦しい時や忙しい時に限って、この至極当たり前のことを思い出すのが難しくなります。まじめな人ほどそうでしょう。
自分を大事にする機会は往々にして後回しになりがちなのです。
ただ、日々の中にほっと一息つける時間がほんの少しでも日々にあればだれもが素晴らしい仕事や叡智、愛を生み出します。
旅をしたり、本を読んだり、土の上で過ごしたり。
自分らしさを取り戻す工夫は、人それぞれ、三人三様の方法があるでしょう。
たとえば、草木や花に触れて過ごせば、こんなにも満ちたりた時間があるのだと幾度も新鮮な気持ちになります。
天の川を仰ぎ、夏夜の花と過ごすのもよいでしょう。
暑さや疲れで思考が固まりそうになった時には、呪文を唱えるように星野さんのことばと考えます。
浅くて深い、深くて浅い、人の心。
その両方を手にして、時に静かに受け入れて歩くことができますように。そして短いようでいて長い、長いようでいて短い人生を豊かに歩くことができますように。
長くなりそうな夏をゆっくりと歩いてまいりたいと思います。
笹飾りの依代
7月7日は新暦の七夕。
感染症などで旅立たれる人も少なくはない今年の七夕は、昔ながらの日本の七夕の信仰である、お盆のしたくとしての七夕飾りにしたいと思います。
七夕に由縁のある梶の葉を押し葉にし、供物として、和紙を後ろに添えて梶の葉飾りに。
三つのほおずきを、目に見えぬ存在や精霊の足元や心を照らす灯りに添えてまいります。
七夕の鵲 花御神酒口
七夕に由縁のある鳥、鵲(カササギ)。
天の川にて、織姫、彦星が逢瀬の時、その羽を広げ、二人が合う日を手助けしたという説話が古い時代からあります。
その鵲に見立てた折形を今回は御神酒口(おみきぐち)として、花を挿れました。
天の川に散りばめられた星や星座に見立てたのは、すっくと背を伸ばし、闇を照らすように咲く鮮やかな朱色の姫檜扇水仙(ヒメヒオウギスイセン)。
散りばめた星のような柾(マサキ)の花。
男女のご縁だけでなく、時や空間を越えてあらゆる良きご縁をつなぎ、結ぶ力となりますよう願いを込めました。
野の百合
数年前に植えたきり、伸びるがままに任せていた百合根の花が咲きました。
他の草草が賑やかに生える中で上手にしゅうっと茎を伸ばし、見事に花を開いたのです。
野の中にある百合だから、葉の向きもあちらこちらに向いて、横倒しになっていました。すっくと天にまっすぐ向かっている百合とは一味違います。
ただ、しっかり花は天を仰ぎ、花びらは風に吹かれているように素敵に流れています。
強い雨風の日も、強い日差しが照りつける日もそこにいて、自らの中にその力を宿す、ありのままの野の百合。
仏具の花立に挿れて、七月の祝花としました。
広田千悦子
文筆家。日本の行事・室礼研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。
写真=広田行正
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