夢の花屋

週末、自分のために花を飾りましょう。
花を手軽に楽しむコツを第一園芸のフローリストがご紹介します。

第四十八話 《歌川広重の雨》に見立てる

2026.06.01

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この世にある美しいものを花に見立てたら──
こんな難問に応えるのは、百戦錬磨のトップデザイナー。そのままでも美しいものを掛け合わせて、新たな魅力を引き出す――それが夢の花屋です。
第四十八話は希代の浮世絵師・歌川広重が描いた《雨》に見立てたアレンジメント。手掛けるのは第一園芸のトップデザイナーであり、フローリスト日本一にも輝いた新井光史。
ここからは花屋の店先で花束の仕上がりを待つような、わくわくした気持ちでお楽しみください。

名所江戸百景 大はしあたけの夕立|歌川広重|1857|ブルックリン美術館蔵

《歌川広重の雨 ~名所江戸百景 大はしあたけの夕立~》とは

歌川広重(1797〜1858)は、日本各地の名所を数多く描いた、江戸後期を代表する浮世絵師です。

当時の江戸では、庶民文化が大きく花開き、人々の間で「旅」への関心も高まっていました。街道や宿場の整備が進み、伊勢参りをはじめとした各地への旅が広まっていったことで、《東海道五十三次》や《名所江戸百景》といった風景版画は、多くの人々の支持を集めます。

広重は、名所を正確に描くだけでなく、そこに漂う空気や季節感、人々の気配を巧みに表現したことでも知られています。雨や雪、夕暮れや朝霧など、時間や天候によって移ろう一瞬の景色を描き分けることで、見る人にその場の空気や旅情を感じさせました。こうした表現力こそが、多くの人々を惹きつけた理由のひとつといえるでしょう。

数ある作品の中から、新井光史が今回の見立てのテーマとして選んだのは、《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》と《近江八景之内 唐崎夜雨》の二作です。

一作目として取り上げる《大はしあたけの夕立》は、《名所江戸百景》に収められた広重晩年の作品です。隅田川に架かる橋(現在の新大橋)を舞台に、突然の夕立に見舞われた人々が橋を急ぎ足で渡る様子を、俯瞰で捉えています。

画面全体を斜めに走る無数の線によって激しい雨が表現され、笠を押さえながら進む人々の姿からは、風雨の強さまでも伝わってきます。大胆に画面を横切る雨の線は、単なる背景描写にとどまらず、作品全体の構図そのものとして強い印象を与えます。
新井は、この広重ならではの一瞬の光景を、花で見立てました。


新井光史が花で見立てた《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》

「梅雨の季節ということもあり、“雨”が描かれた作品に見立てたいと考え、広重の《大はしあたけの夕立》と、もう一作を選びました。
この絵で最も印象的な雨は、雨雲を『スモークツリー』で、画面いっぱいの線で表現された雨はドライにした『枝垂れ柳』を全体に配することで表しています」

「夕立の中、橋の上を行き交う人々は『スズラン』で表現しました。小さな葉に組み替え、雨を避ける笠や蓑(みの)をイメージしています。
よく見ると、橋の上には7人の人が描かれているので、スズランの数も7つに揃えました」

「橋は竹を割ったもので見立て、水面は『アジサイ』で表現しています。
初夏ならではの花材を用いたことも、この作品でこだわった点のひとつです」


近江八景之内 唐崎夜雨|歌川広重|1834|メトロポリタン美術館蔵

《歌川広重の雨 ~近江八景之内 唐崎夜雨~》とは

二作目として選ばれた《近江八景之内 唐崎夜雨(おうみはっけいのうち からさきのやう)》は、《東海道五十三次》で風景画家としての地位を確立した広重が、その翌年頃に手がけた《近江八景之内》シリーズの一作です。

「近江八景」とは、琵琶湖周辺の名所を中国の「瀟湘(しょうしょう)八景」になぞらえて選んだ景勝地の総称で、「夜雨」「夕照」「帰帆」など、時間帯や気象と結びついた情景が主題となっています。《唐崎夜雨》は、その中でも琵琶湖畔・唐崎に降る夜の雨を描いた作品です。

画面には、大きく枝を広げた唐崎の松と、雨に煙る湖の風景が静かに広がります。この松は、現在も滋賀県大津市の唐崎神社に「唐崎の松」として受け継がれており、広重が描いたのは、代替わりを重ねた三代目とされています。

画面左上には、「夜の雨に 音をゆづりて 夕風を よそになたつる 唐崎の松」という和歌が添えられています。夕風に鳴る松の音よりも、夜の雨音があたりを満たす情景を詠んだもので、静かな湖畔の空気をいっそう印象深く伝えます。絵と和歌が響き合いながら、雨の夜の余情を描き出している点も、この作品の大きな魅力です。

一方、《大はしあたけの夕立》のような人々の動きや豪雨の勢いは描かれていません。細く繊細な雨の線によって、音を吸い込むような静かな夜雨が表され、湖面や遠景は柔らかな霞の中に溶け込んでいます。

同じ「雨」を題材にしながら、《大はしあたけの夕立》が夕立の勢いや人々の動きを捉えた作品であるのに対し、《唐崎夜雨》では夜の静けさや湿り気を帯びた空気そのものが主題となっています。激しさと静けさ──広重は一枚ごとに、異なる雨の表情を描き分けていたのです。

新井光史が花で見立てた《近江八景之内 唐崎夜雨》

「当初は一作のつもりで進めていましたが、広重の雨の作品を探していく中で、《唐崎夜雨》に強く惹かれ、今回はもう一作制作することにしました」

「《大はしあたけの夕立》とは対照的に、重々しく静かな表現を目指しました。宙に浮くように置いた塊は、実際の松の幹と根です。雨は逆さに挿した『フトイ』で表現しています」

「こちらは制作の過程で、フトイを加える前の状態です。赤の『スモークツリー』を松にのせ、雨に霞む景色を表しました。
目立たない部分ですが、アクセントとして深い紫の『クレマチス』を添え、夜の気配を忍ばせています」

「《唐崎夜雨》の松を見たとき、以前から大切に保管していた枯れた盆栽の松を思い出しました。廃棄される寸前だったものを譲り受け、葉をすべて外し、根を丁寧に洗って乾かしながら、“いつか使える時”を待っていたものです。

人物を一切描かず、威風堂々と松を描いたこの作品に見立てることで、植物としての命を終えた松に、もう一度命が宿ったようにも感じています」


広重は、旅情の中にある抒情を繊細にすくい取り、現代にも通じる感性で数多くの作品を残しました。
とりわけ今回のモチーフである「雨」を描いた作品には、かたちを持たないはずの雨が豊かな表情をまとい、絵の中の気温や雨粒の重さ、さらには音までも伝わってくるような臨場感が息づいています。

新井が選んだ二作の雨景色は、ひときわ対照的です。
《大はしあたけの夕立》が、ざあざあと降りしきる雨音と都会の喧騒が重なり合う、ざわめきを感じさせる一枚であるのに対し、《唐崎夜雨》は、雨が周囲の音や気配を静かに吸い込み、深い孤独を漂わせる世界を描いています。

同じ「雨」でありながら、そこに宿る表情は大きく異なります。
その対照的なエッセンスを、新井は花というかたちに置き換え、それぞれの空気や情感までも立ち上がらせました。
広重が描いた一瞬の景色と心のゆらぎは、時代や表現を超えて、新井の花によって新たなかたちで息づいているのです。


《夢の花屋》でご紹介している新井光史が名画に見立てた作品
第四十六話 《花の静物画》に見立てる
第四十四話 《長谷川等伯の松林図屏風》に見立てる
第四十三話 《洛中洛外図》に見立てる


「夢の花屋」ではトップデザイナーならではの、鋭い観察眼や丁寧な仕事が形になる様子まで含めて、お伝えしていきたいと思っております。
こんな見立てが見てみたい…というご希望がございましたら、ぜひメッセージフォームからお便りをお寄せください。

第四十九話予告
次回は志村紀子が登場します7月1日(水)午前7時に開店予定です。

新井光史 Koji Arai

神戸生まれ。花の生産者としてブラジルへ移住。その後、サンパウロの花屋で働いた経験から、花で表現することの喜びに目覚める。 2008年ジャパンカップ・フラワーデザイン競技会にて優勝、内閣総理大臣賞を受賞し日本一に輝く。2020年Flower Art Awardに保屋松千亜紀(第一園芸)とペアで出場しグランプリを獲得、フランス「アート・フローラル国際コンクール」日本代表となる。2022年FLOWERARTIST EXTENSIONで村上功悦(第一園芸)とペアで出場しグランプリ獲得。2025年3月に行われたFlower Art Award2025でも川口太聞(第一園芸)とペアで出場しグランプリを獲得した。 コンペティションのみならず、ウェディングやパーティ装飾、オーダーメイドアレンジメントのご依頼や各種イベントに招致される機会も多く、国内外におけるデモンストレーションやワークショップなど、日本を代表するフラワーデザイナーの一人として、幅広く活動している。 著書に『The Eternal Flower』(StichtingKunstboek)、『花の辞典』『花の本』(雷鳥社)『季節の言葉を表現するフラワーデザイン』(誠文堂新光社)などがある。

Text・Photo 第一園芸 花毎 クリエイティブディレクター 石川恵子