花月暦

日本の文化・歳時記研究家の広田千悦子さんが伝える、
季節の行事と植物の楽しみかたのエッセイ。

第四十三話 「六月 芒種 夏至」

2020.06.05

life

葉の雫

梅雨の足音が聞こえてきて、しっとりとした空気に包まれるようになると身体に少し重みを感じるようになります。

軽やかな五月から、重厚感のある六月へ。
毎年のことだから、誰もがあたりまえのように、この節目を過ごしていますが、たとえていうなら、ちょっとした時差ぼけのようなものが身体におきています。
新しく引っ越した家に馴染むのに時間がかかるように、ちょっとした負荷のかかる季節です。

慣れるまで時間がかかることもあるでしょうし、バランスを取るのに、苦心する年もあるかもしれません。

ただ、他の節目と同じように、あまり揺らがずにいて、自分なりの工夫を重ね、物事を確かめ時を過ごすうちに、身体も気持も「変化」を受けとめる力が、自然に身についてきます。

今年は、気づかぬうちに、日常的にcovid19による様々な負荷がかかっていますから、いつも以上に、自分に優しく大事にする工夫を心がけたいもの。

家事や仕事で働き続けたり、あるいは常に心配し、考え続けたり。
常に忙しいことがルーティンになると、そんなつもりはなくとも、何よりひと息つくことが難しくなります。
小さなことが積み重なると、疲れもたまりやすくなるものです。
うまくいった、と思ってもすぐにリバウンドして元にもどったり。
自分を大切にするのが難しくなる、そういうめぐりに入り込んだとき、私の場合はあまり考えすぎず、季節のそばにいるタイミングを増やします。

こまめに椅子から立ちあがり、窓から遠くの雲の厚みを眺める。
道すがらに咲く足元の草花が見える早さで歩く。
はじめはタイマーをかけるように、休憩するたびに、歩くたびに。
草木花や風の力を借りて、赤ん坊をあやすように、子どもを見守るように。
小さな葉のしずくをひと粒づつ集めるように、穏やかに自然や自分のそばにいる、そんな風に過ごす時間を増やしていきます。

また、今の季節の楽しみはいくつもあるけれど、とっておきは、重厚感を帯びた空気が甘い花の香りに包まれていること。
スイカズラ、定家葛、泰山木、柑橘の花、梔子の花などなど、甘い香りの花がズラリと並んでいます。

その中に佇んで、静かに呼吸をくりかえしていると、ここちよく酔えそうないい気分です。
特に宵や夜明けのひと時、しっとりとした空気の中で、これらの花は強く香ります。
花の香りに包まれて、浮き世をひととき離れているうちに、軽みと重み、両方の季節の趣きが身体に馴染んでいきます。

二十一日にやってくるのは、季節の大きな分岐点の一つ、夏至です。
もうすぐ一年も半分が過ぎようとしています。
草木花の香りに包まれた宵の力を少しずつ、身体に蓄えて、季節の波をうまく乗りこなしていきたいと思います。

ビワ

今年も裏山のビワに実がなりました。
よく実った昨年や一昨年とは様子が一変し、色づく前に実を落としてしまっている木も多いようです。
毎年、不思議なのは、同じ道沿いにあるビワの実の成り具合が、一様に同じであること。

目に見えない言葉を交わしているのか、あるいは大地に広がる根で私達に聞こえない会話しているのか、皆、同じように実なりがよくありません。

ところがひょんなことから、いつもはあまり目をくばることのない山影をのぞいてみると、他の木とは違って、枝いっぱいにたわわに実をつけたビワの大木が一本だけ立っています。
今年は皆、同じ様子だろうと決めつけていたところでしたから、尚、輝いてみえました。

他の木とは違う道を歩いている木。
心引かれるこの木が、来年はどんな風に実をつけるのか、見守りたいと思います。

今回は、その枝を少しいただいて、私達のそばにいて、薬やお茶になってくれる木に感謝の意味を込めて、古い時代に大切にされていただろう趣きのある厨子に、枝を添えました。

ビワの種のチンキ

ビワには、長い年月、本当にお世話になってきました。
葉を刻み、煎じたものを虫さされの薬に。
夏は暑気払いの入浴剤にしたり。
よく焙じて煮だすと、甘みのあるお茶になります。

中でも濃厚な果物の風味があるのが、ビワの種チンキです。
実ったもの、実りをとげず落ちた実と両方、合わせて種を取り出します。ナイフなどでちょっと傷をつけることがコツです。
あとは瓶に入れ、ウオッカにひたします。
一ヶ月もしないうちに、芳醇な香りのチンキができあがります。

泰山木

近所の友人の家には、立派な泰山木があります。
毎年、木の上で、見事なマットな白の大輪を咲かせます。
ところがあっという間に、つぼみは開いて散ってしまうので、なかなか、間近にする機会がありませんでした。
早く散ってしまうというよりは、私が泰山木の歩みに添うことができなかったのです。
今年ようやく願いが叶いました。

木の上で花を咲かせるので、ふだんは手の届かない香りも楽しみでした。
強い甘みのある、やはり六月の香りでした。

茱萸と瓶子

茱萸(ぐみ)がたわわに朱色の実をつけています。
晩秋の菊の節供に登場する古い貴族のしつらいに、茱萸袋があります。
邪気除けや、香袋として用いられることもあり、中国の風習から生まれたものだと言われています。
また、元々使っていた植物は別だという説もあります。

今回は詳しくは触れませんが、他の国から伝わり、時を経る過程で、意図せずして、あるいは意図して、別の植物になったり、違う意味をもったりする習わしは少なくありません。

個人的には、初夏に実がなる種類の茱萸の木に、実が鈴なりになるのを毎年見るたびに、晩秋の茱萸袋を思い出すことから、今回は、全ての人が晩秋を、穏やかな気持で迎えられますようにという願いを込めて瓶子(へいし)に茱萸の枝を入れたしつらいにしました。


第四十四話「七月 小暑 大暑」へ
二つの季節が入り交じる月、七月。
中盤からはパワフルな季節、真夏がやってきます。
厳しい日差しの中で、一日花が空と道を彩ります。

広田千悦子

文筆家。日本の文化・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。

広田千悦子チャンネル(Youtube)

写真=広田行正