花月暦

日本の文化・歳時記研究家の
広田千悦子さんが伝える、
季節の行事と植物の楽しみかたの
エッセイ

第四十四話 「七月 小暑 大暑」

2020.07.07

life

青田

梅雨らしい日々が続いています。
水鏡が見えていた田んぼでは稲がすくすくと育ち、青々とした場所に。
背を伸ばした稲は風に踊り、夏のはじまりらしい景が広がっています。

稲はあとひと月ほどで迎える花の時季を前に着々と準備を整えています。
誰もが懐かしさを覚える田んぼは、多様ないのちが通い合い、たくさんの祈りや思いが生まれ、花が咲き、いのちが生まれる場です。

さて、今年は晴れ間が少なく、小さな生き物たちもタイミングをよんでいるのか、蝉が鳴き出すのも遅いように感じます。

ウグイス、ホトトギスと来て、次に心待ちにしているのが、ヒグラシの音。
今年はなかなか鳴かないなあ、としびれを切らしていると、森の影から、かなかなかな・・と聞こえてまいりました。

初音の頃からしばらくの間は、彼らの声が聞こえる度に、シャワーを浴びるように全身で音を味わう為に耳を傾けます。
懐かしい思い出や景色が蘇り、忘れていたものを呼び覚ます―—。
ヒグラシの音にはそんな不思議な力があることを知っているからです。

ただ、それも季節が真夏へとすすんでいくにつれて、やがてなにげない日常の音になっていきます。いつの間にか魔力は消え、暮らしの中にとけこんでしまうのです。
あたりまえになり、世の中の一部になった音に気づくのは、時間がゆっくり流れているときや、自分や人を大切にしよう、とほっとひと息ついているとき。
消えたように見えたのは、ヒグラシの魔力ではなく、何ものにも囚われずに、自由に自在に動く自分の感性や気持かもしれません。

雨音の影で、夏が静かにはじまる音がしています。

梶の小舟

季節を順々に辿る暮らしをしていると、七月七日、新暦の七夕の風情に自分の気持を合わせるのが少し難しいなと感じる時があります。そぼふる雨の中で、紫陽花の色にもう少しだけ親しみ、梅雨の季節の中に浸っていたいからです。

六月末の夏越しの祓えで過ぎ去った半年を振り返り、新しい半年に思いを馳せたばかりです。
まだ心の整理がついていない時は、急がず慌てず、新暦の七夕からひと月遅れの七夕、あるいは旧暦の七夕までの期間をゆっくりと楽しむことにしています。
ちなみに今年の旧暦の七夕は8月25日。ゆったりとした気持で迎えられそうです。
ただ、お盆とのつながりを大事にしたい人は、ひと月遅れの8月7日に七夕をするとよいでしょう。自分の感覚にしっくりとくる暦を使うのが一番です。

今年は特に世界中を翻弄する疫病の登場で、大きな変化がくりかえし訪れています。
気持を整理するには時間がかかって当然です。
ゆっくりと時間をかけることではじめて、整理されてゆく気持ちがあります。

幸いなことに長い年月の間、七夕にはたくさんの習わしが生まれてきました。
彦星と織姫の星伝説、お盆の準備、水を使った祓え、乞巧奠(きこうでん)などなど。
多様な発想や信仰、文化が入り交じり、習わしの贈り物に溢れています。

人間がしつらいやお供えものをする原点の一つは、自分の今の気持や祈りを形にあらわして、見えないものと自分をつなぎ力を呼び覚ますことです。古い習わしの中から、自分の気持によりそうかたちを見つけていくのは楽しいことです。

今回の七夕のしつらいのひとつに、星伝説におなじみの川を渡る舟を奉書でつくり、舟の舵に見立てた同じ音を持つ植物「梶」を添えました。
梶の木から形の整った、大きめの葉を選びます。
舟をしつらうのは、新暦のお盆のしたくとして、大切な存在に心を向け、お迎えするためでもあります。

舟のかたちには、幅広く深い心を持てますように、そして豊かなお供え物を乗せられますように、と願いを込めて。
ふっくらとした舟を折り、水引で結びました。

七夕花扇

七夕のしつらいの一つに、今年は「七夕花扇」を。
元々は、七夕に七種の草花を束ね、檀紙に包んで縁起のよい末広がりの扇形にして宮中に献上したという華やかな習わしです。
床の間や鴨居に下げて飾った後は、池の水に浮かべ、星に手向けました。

今回はその古の花扇をモチーフに、時節の花々で拵えました。
笹飾りにちなむ、そして邪気を祓う力や音の笹、星の形がちりばめられたようなマサキの花。
そして扇の葉を持つ姫檜扇水仙や、七草にちなむ撫子の花などを重ねていきます。

花に託した祈りが、どこまでも扇のように広がっていきますように。

星の花

今回の七夕花扇に用いた花の一つ、マサキの花。

小さく目立たない花ですが、咲いた後たくさんこぼれるように落ちます。
星のような小花が可愛らしく、道は華やかなリズムに彩られます。

青の供物

端麗な青に染まる、実りを迎える前の青栗、青柿、そして椿の実。

熟す前に落ちたもの、間引いたものをいただいて、青の供物にしつらいました。
食物だけでなく、さまざまな実りへの道しるべに。
すべては実を結ぶ道のりの途上にあることを忘れずにいる、あるいは思い出すことのできる余裕を持てますように。


八月 立秋 処暑

季節の大きな節目の一つ、立秋がやってきます。
厳しい暑さの中にそよぐ風を見いだす頃。
段々と澄んでくる大気の動きとともに、季節の流れは軽やかになっていきます。

広田千悦子

文筆家。日本の文化・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。

広田千悦子チャンネル(Youtube)

写真=広田行正