第三十九話 「二月 立春 雨水」
2020.02.04
暮life
光を透して
いちばん心躍る季節はいつか、と問われればためらうことなく「立春」と答えます。
窓から入り込む光の眩しさに目を細め、夕暮れ時がゆったりと長くなってくる季節。
一日の主人公が「夜」から「昼」へと移りゆく道すがら。
季節の趣きは、夜空の星々のように大きく転回し、すべてに光が行き届くような空気に満たされていきます。
たとえ不安や疲れが折り重なるようになっていても、光りに目を向けることを忘れずにいさえすれば、いつしか、心は落ち着きを取り戻していくもの。
小鳥たちが光の時間を身体に蓄え、さえずりはじめるように立春の頃の光には、誰しもの中にある精気を呼び覚ます不思議な力があります。
たとえば、花を観るということはどういうことなのか、と想いを巡らせる、そんな贅沢な時間を過ごしたいなら、賑やかな春爛漫に世界が覆われてしまう前の今のうちです。
咲く花々は、初々しくやわらかで、まだ華奢な花びらは光を透かしています。
花そのものだけでなく、たとえば光と花、二つの力を両方合わせて眺めるひとときを。
感覚を働かせ、とりまく気配にも目を配るようになれば、闇があるところには、必ず光がある、と気づくように、様々な景色が目に入るようになります。
石臼に白侘助
例年よりかなり遅咲きだった水仙と比べて春の花のサイクルがとても早くなっています。
河津桜、梅、と勢いづき、冬と春が交差しています。
冬の花とするか、早春の花とするか人により別れる花といえば椿です。
芭蕉は今の季節「うぐひすの 笠落としたる 椿哉」と詠みましたが、椿の花笠に彩られる道の景色も、次第に雨に潤い消えてゆく頃となります。
今回は、こぢんまりとした一重の白侘助と長い時代、くらしの中で大切な役割を果たしていた石臼を合わせてみました。
苔生して時を重ねた石臼の趣に、控えめに季節の節目を伝える白侘助。
本来椿にはない、ほのかな香りもします。
白い椿があまりにも可愛らしいので、さし木にして増やしてみようと思います。
烏木蓮
桜の前触れに咲く花といえば、木蓮です。
白い花、紫の花、様々な種類があります。
今回ご縁をいただいたのは、紫色の肌に、花びらの内側は乳白色の烏木蓮です。
高い木の上で咲いているのを見ただけでは、なかなかわかりにくいのですが、開いていく蕾の様や花全体を見てみるとその名の通り、木の蓮、蓮の花のようにも見えます。
ちなみに二月十五日は、お釈迦様がお亡くなりになった涅槃会。
お寺では、お釈迦様のご縁の日として、涅槃図をかけたり、涅槃団子をいただきます。
お釈迦様のご縁のある花として、木蓮の花のしつらいもおすすめです。
山茶花の花湯
先月も登場した山茶花ですが、花びらを散らしながらもなお、彩を見せてくれていいます。
あらためて、息の長い長い花だと知る年に。
どんなものでも見慣れてしまうと、なかなかその良さに気づくことができなくなる。
人にはそういう習性がある、と山茶花に教えてもらいます。
花のなごりを十分に楽しみたくて今年は、山茶花の花湯を。
乾燥した花びらがお茶になるとは聞いていたので、フレッシュなままの花に熱々のお湯を注いでみます。
回転しながら花は色を変え、香り立つ。
ひとくちいただけば、ものすごく美味しいというわけではないけれど、山茶花の香りを身体に浴びて、幸せな気持ちに。
節分草
節分の頃に咲くから、と名付けられた節分草の花。
ひざまづいてじっくりと眺めたくなる精巧なつくり。
ひと花だけで、強い存在感があります。
この花に出会うたびに、花の持つ性質や、それぞれに異なる趣について、想いをめぐらせる機会をいただいています。
第四十話「三月 啓蟄 春分」へ
春爛漫の季節へと進みます。前半と後半では季節は大きく変わります。
春分を迎え、夜と昼の長さが同じ日を過ぎればまた、大きな太陽の分岐点となります。
広田千悦子
文筆家。日本の文化・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。
写真=広田行正
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