花月暦

日本の文化・歳時記研究家の広田千悦子さんが伝える、
季節の行事と植物の楽しみかたのエッセイ。

第四十話 「三月 啓蟄 春分」

2020.03.05

life

いつもと変わらぬ季節に目を注ぐ

春のとびらが大きく開いて、ウグイスの声で目が覚める季節となりました。

3月のはじまりは、不意にひんやりとした空気に驚かされることもありますが、フキノトウも花を咲かせ、長い眠りについていた雪柳に緑色が戻り、小さな花を咲かせるようになれば、ためらうことなくすべては春色へと染まっていきます。

二十四節気の「啓蟄」は冬ごもりしていた小さな虫たちも動き出す、という頃。
気をとられることなくのんびりと日向ぼっこできるのも、虫たちが寝ぼけ眼の今のうちです。

海辺に出てみると、砂浜にハマダイコンが華やかに咲いています。
清楚な淡い紫色がにじむ花びらに、アブラナ科らしい花姿。辞書には「大根が野生化したもの」とあるから、畑の世界から飛び出し、新しい地に根づいた開拓者となりますでしょうか。

枠から飛び出して、自分らしい道をさがして旅をし、海に根づいた浜大根は分布をひろげ、日本と朝鮮半島をつないでいます。

新型コロナウイルスの情勢など、様々なことが起きる世の中ですが、不安や迷いが多い時には、たとえば、どっしりと大地に根をおろす名もない道端の木を見上げたり、時季を迎えれば咲くお決まりの季節の花など、なにげない日々の中にある、いつもと変わらない景色に目を注ぐ時間を増やします。

そういうひとときを持つことで、不思議と気持は穏やかになります。
自分が大切にしたいものが何かを思い出し、身体や心の軸もゆったりと定まる流れへと、きっと季節が導いてくれることでしょう。

桟俵の花御供

上巳の節供には、ひなまつり、桃の節供など、様々な名前があります。
新暦の上巳の節供は3月3日。
旧暦だと今年は3月26日になります。
「暑さ寒さも彼岸まで」の3月23日を過ぎる頃ですから、まさに春爛漫の中。

私は長い年月の間、日本人が過ごしてきた上巳(じょうし)の節供の季節感を味わいたいから、私はいつも新暦と旧暦の両方を楽しむことにしています。

今年の季節のしつらい教室での上巳の節供のしつらいものは、「桟俵の花御供(さんだわらのはなごくう)」です。

桟俵は、米俵の蓋で、日常の生活の道具であると同時に、時には、神様へのお供えものを入れる器の役割を果たし、
流し雛などでは、雛や人形(ひとがた)をのせて、川や海などの水辺に流し災いや疫病を祓うための道具でした。

今回は、丸く編んだ藁に思い思いの花のお供えものを添えました。
自分はもちろんのこと、親しい人や家族、そして見知らぬ人の健康と幸せに、手を合わせ、祈りを込めたいと思います。

本来、お供えする花は、その時節で一番、輝きのあるものを選びます。
その土地土地の旬の花を添えるのが何よりですが、今回は、古代から続く信仰の力をふまえた桃の花枝を入れてみました。

樒の花

もう一つの桟俵には、旬の花として、樒(しきみ)を入れました。
庭で時季の花を探そうと歩いていると、知らぬ間に盛りを迎えていたことを知りました。
うつむきがちに咲く花だから探しにくく、花が終えるころまで気づかないこともあります。

今年はまさに今、たけなわ、という時に出会いました。
花一枝入れただけで、一気に部屋は樒の香気で包まれました。
強い香りを持つ草木花には邪気を払う力がある、と考えた古の人の気持をあらためて知る機会となりました。

樒は、こうのき、仏前草などの別名がものがたるようにほとけさまとご縁のある花。
地域によってはお正月のしめ縄や、節分に添えるところもあり、邪気を払う草木花として、神仏両方に使われます。

古い木魚と椿

3月15日は涅槃会と呼ばれる、お釈迦様の入滅の日です。
寺院では、涅槃図といってお釈迦様が亡くなられた時を描いたお軸を掛けたり、法会を行うところもあります。
2月15日か3月15日に行うのは、新暦か旧暦(厳密にいうとひと月遅れ)によるものです。

今回はお釈迦様にちなむものとして、古い木魚に椿をあしらいました。
木魚は人々が祈りを込めるときに向き合った祈りの道具です。

盛りを過ぎたと思い込んでいた椿が今、庭で豪華絢爛のフィナーレを迎え、見事です。

そのさまざまな色や紋様の椿で、祈りのあかし、木魚を包みました。

柳のかづら

華やかな最後を迎える椿の木がある一方で、目覚めを迎える草木があります。
柳が可愛らしく芽吹いています。
桜の花とほぼ重なることから、柳桜といって色の兼ね合いを眺め楽しまれてきたものです。
芽吹く前に花がさくのも、桜と同じです。
植物の枝などを、輪にすることをかづらにする、といいますが、災いを払う目的がありました。
新芽と花のついた柳を、小さなかづらにしてみました。


第四十一話「四月 穀雨 清明」へ
桜が盛りを迎えたら、草木花の百花繚乱の季節です。
あらゆるいのちから圧倒されるような力がほとばしります。

広田千悦子

文筆家。日本の文化・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。

写真=広田行正