第二十六話 「雨水のこと」
2019.02.19
暮life
雨水は、雪がゆっくりと雨へと変わるところもあり、寒さが緩んでくるという節気です。
長い間かたく閉じていたかのような大地の趣きも、ひと雨ふるごとにやわらかくなり、新しい命が芽を出し、いのちが動きだせるようにと、まるでだれかが着々と仕度を整えているように感じます。
ただ、今年がいつもの雨水と違うのは、秋から冬を越した草草が、ずっと枯れることなく残っていることです。
たとえばこの時期、山菜のお楽しみの一つはフキノトウですが、通常、この風味のよい山菜を楽しんだあと、蕗はだんだんと葉を開いていくものです。
ところが今年は冬を越した蕗の葉がいっぱい茂っているのです。
青々と茂り続ける冬の蕗の葉のあまりの元気の良さに、今年はフキノトウが出ないのではないかと心配したほど。
いつも通りの姿を見つけた時は、ほっと胸をなで下ろしました。
葉をかき分けながら、フキノトウを探すのははじめてのことです。
こんなふうに思いのほか冬を越した葉が、たくさん残っているような、勝手の違う季節が続いて、違和感のあるものの、そのおかげで、大気が乾燥しても、大地は潤いを保ち続けています。
というわけで、今年は思いがけない雨水となりましたが、少しずつ、強くなる太陽の光りを受けたせせらぎの水はいつも通り、きらきらと輝いています。
日本人の信仰心にとっても大切な「水」に、あらためて気持が向かう節気となります。
春を告げる河津桜
3月末の染井吉野に先がけて咲く桜、河津桜。
伊豆半島の南に位置する、静岡県河津町にたくさん自生することが名前の由来です。大島桜と寒緋桜が自然に交じり合い、生まれた種類だといわれているこの桜は河津桜と名付けられてから、あと少しで50年という若さになります。
元日桜、という別名のある寒緋桜が親ということもあり、梅の花に次いで、早々と咲き、春が進んでいることを知らせてくれる桜。萌黄色と桜色の取り合わせの見事な枝が手に入りました。
枝一杯にみなぎる力が、伝わってきます。
貝花
3月3日は新暦の桃の節供です。
上巳(じょうし/じょうみ)の節供と呼ばれるこの行事の源流をたどると、時代とともにさまざまな由来が植物のように枝分かれしたり、織り物のように絡み合っています。
古くから伝わる意味の中で、大きな軸としてあるのは「水」のそばで災いを祓うということ。
人形に自分の穢れを託し、身代わりになってもらうという古くからよく見られる日本人の祈り方の特徴で、
川や海の水に、汚れや災いを流してしまおうという考え方です。
雛人形をはじめ、桃の節供の行事にちなむ習わしは様々なものがありますが、今回は、災いを祓い、春らんまんの海や山、川のある場所へ皆で出かけていき、自然から力を得ようとした風習にちなむ、蛤のしつらいにしました。
磨き上げた日本産のきれいな蛤に少し水をはり、桃の花や季節の花びらを入れてみます。
この世で対になる貝殻は、たった一つだけ、ということから、夫婦和合だけでなく、さまざまな深い縁を想い、その心に見立てたのが、蛤です。
私は貝花、と名づけています。
桃の枝
桃は、花や実ばかりではなく、枝にも力があると考えられていました。
節分の頃に行われる追儺の行事では、桃の枝で作った弓を使い、鬼を祓います。
時代や地域によっては、お酒に桃の枝を浸し、それをいただくことで身体の穢れを祓いました。
この由縁にちなみ、花を終えた後の桃の枝の力をいただくために、半紙で包み結びました。
古を想い、桃の力をいただくためのかたちです。
桃の葉を揉むと良い香りがしますが、これを煎じて、お風呂に入ると皮膚の薬になると考えられています。
花が終わったあと、実も枝も、葉も、楽しみを与えてくれる。
これが桃という木の素敵なところです。
草木萌動
雨水の節気の中にある、七十二候のひとつです。
「草木が萌え出ずる」文字通り、緑はむくむくと動いています。
ネコヤナギの蕾はふわふわとして、光りの中で輝き、木蓮もつぼみをふっくり。草木は、だんだんと賑やかになっていく道すがらですが、それでも春爛漫になる前の、まだ序盤です。
今のところは、目を覚ますものをひとつ、ふたつ、と数えるゆとりがあります。
季節と足並みを揃えて歩く喜びを私達が思い出すには、ちょうどよい早さ。
おだやかにゆったりと進んでいきます。
第二十六話「啓蟄」へ
雨水に整えてもらった世界を受けとめて、小さないのちが動き出します。
お釈迦様にまつわる涅槃会や、お彼岸など、春の行事が続いていきます。
広田千悦子
文筆家。日本の文化・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。
写真=広田行正
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