第三十一話 「六月 芒種 夏至」
2019.06.06
暮life
一年の半分が過ぎようとしています。
雨や曇りの日が多くなりますが、紫陽花が色づき、花が大ぶりになるにつれて、
静けさが、ゆったりと広がっていきます。
自然のままに生える草むらを眺めていくと、よく目にとまるのが、すらりと背を伸ばし、ススキのように頭を垂れるイネ科の植物たちです。
イヌムギ、カモジグサ、カラスムギなどなど、電車の窓からのぞきこむと線路際などで風に揺られているのが見えます。
このイネ科の植物にある突起のことは「芒」と呼ばれていますが、さまざまな種類の芒を目にする度に、六月の二十四節気、芒種の中にその文字があることを思い出しています。
もう一つの二十四節気は、一年でもっとも長い昼を迎える夏至。
夏至へと向かう道すがらには、桑や茱萸(ぐみ)に枇杷、梅は熟し、実りの時を迎えるものがたくさん。
厳しい冬を越し、花開く春の道を通って初夏を越え、ようやく迎えた実りです。
悩むことなく着々と、ありのままに実りへと向かう草木花に習うために、こうすればもっと上手くいくかもしれないというアイディアや、次はこれをやってみようという小さな決意をあたためて、新しい半年を歩いていくための手がかりや手応えを、確かめます。
何よりは、どんな小さなことでも自分の中にある実りを見つけたら、抱きしめるように受け取り、きちんとひとつひとつ喜ぶのを忘れずに。
穏やかに、自分らしさを大切にした実りにつながる道を歩くために、大切なことだと思います。
旧暦の端午
新暦の端午の節供はとうの昔へ過ぎ去り、過去のものにとなる頃、古来の端午の節供の季節がやってきます。
今年は、6月7日。二十四節気の芒種の翌日です。
日本ではまさに梅雨に入るか未だか、といった季節の分岐点の場所ですから、現在、行われている端午の節供の初夏とは大きく異なる季節感です。
今回は、長い年月に渡り、行われていた今の時季の花をあしらい、旧暦の薬玉をしつらいました。
見事な石楠花と、残り花のつつじは北の北海道からいただいたもの。
長く垂らした菖蒲は西の浜松から。
東西南北に幅広い季節が展開する日本の季節感の奥行き、幅の広さを盛り込む薬玉になりました。
のぼり藤
まるで蕗のような空洞な茎だから、水揚げがむずかしいのではと心配しました。
さすがに気温と湿度の差に体力を使ったようで、先端の花を少し落としましたが、
ほぼきれいな姿のままで、越境してくれました。長い間、ルピナスと覚えていたのですが、「のぼり藤っていうのよ」と母に教えてもらってから、より親しみが湧くように。なるほど、山の端や棚に垂れて咲く藤を逆さまにしたように、空を目指して咲いていきます。
藤の花を思い浮かべながら、眺めていると、いつもとは違う感覚が、頭の中で動きだします。
ことばや名前の持つ力は大きいのです。晩春の藤を懐かしく思い浮かべながら、生けてみるとパラパラと花が散ります。
落ちる花びらもまた、藤に似ていることをはじめて知りました。
定家葛
晩年、出家したという藤原定家は、当時の文化に深い影響を与えた人物です。
鎌倉時代の歌人であり学者であったこの定家の墓に絡みつく花ということでついた名前だという、テイカカズラ。
ぐんぐん伸びては絡む蔓に、小さな風車のような花がつきます。
遠くまで甘い香りを運んで広がり、梅雨の重みを軽やかに心地よく変えてくれるから、『古事類苑』に見るツルクチナシの別名がすとん、と腑に落ちてきます。
古い話では、天岩戸で躍った天鈿女命が葛にしていたマサキノカズラが、このテイカカズラだという説があります。
そばに近づいて見れば見るほど、ひねりの利いた小さな花と香りのとりこになります。
蛍
今年も小さな灯りに心うばわれる季節となりました。
我家の近所の川で見られるのは、思いがけないほど遠く、高く飛ぶゲンジボタルです。
ホタルの灯りに心奪われ、時を忘れてしまうのは、美しいばかりでなく、
時間をゆったりとたおやかな流れに変えてしまうから。
ホタルの灯りと宵を味わいながら、更けていく梅雨の夜。
草木花の甘い香りが、仲夏の夜をふんわりと艶やかに染めていきます。
第三十二話「七月 小暑 大暑」へ
すっきりと明けない梅雨をもどかしく思ううちに、進む夏。
力を蓄えてきた夏の花が、ほとばしるように咲きだします。
広田千悦子
文筆家。日本の文化・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。
写真=広田行正
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