第五十二話 「三月 啓蟄 春分」
2021.03.05
暮life
春の景
今年も、霞がかる春らしい景色が少しずつ、現れるようになりました。
写真は、真珠のような満月が、富士の頂に沈むように見えるパール富士。
太陽がのぼってくるにつれ、ゆっくり空に溶けこんでゆくような月と富士が、美しく重なります。
大地に目を向け、土に足を踏み入れてみると、ふんわりとやわらかい感じ。
草木の蕾など、すべてが開いていくような時季ですが、時折、思い出したように、冬が交差します。
コートや暖かい服装を脱ぎすて、今日は、薄着にしようか、どうしようかと皆が迷う頃。
薄手のものを羽織ってみては、寒さに後悔したり、厚着のしすぎで、汗をかいたり。
年齢や体調、性分により体感は異なるから、いろいろと試みていくしかありません。
そのおかげでいつも以上に皆、よく感覚を働かせています。
自分にちょうどよい頃合いを確かめる、そんな日々が続きます。
3月に入って行事は、桃の節供、月遅れの涅槃会、お彼岸と続きます。
行事のことでよくいただく質問の一つが、いつ飾りものをすればよいのか、そしていつ飾り物を下げるのか、ということです。
なんでも先取りするのが一般的、という流行が長く続いているせいか、ずいぶん早くからやらないと落ち着かない、気が済まない、という方も少なくなく、また、いそがしくて支度が間に合わないからやらないという選択も意外に多いようですが、忙しくて日取りに間に合わなければ、遅れて飾るのもよし、早くから飾らないと落ち着かないなら先をゆくのもよし。
今日は薄着にしようか、どうしようか、と考えるのと同じように、心と感覚を動かせば、そうしたい時が、その人の「今」です。
自分がどんな気持ちか、どんな状態かを大事にして、今、自分がどうしたいかのかを考える。
それによって飾る時を決めるのがよいのでは、とお答えしています。
なぜなら、飾るときは、祈りのとき。
一番はじめにこうしようと考えた古の人も、心が動いてはじめたことです。
暮らし方や、生き方、使う暦も様々である現代に、一つの枠だけに、あてはめる理由はあまり見当たりません。
すべてがひらいていく春と一緒に心を広げ、何事においても、自分の「今」を大切にすることで、春の気が揺るぎなく、身体中に広がり満ちていくことでしょう。
河津桜
桜の中でも河津桜は、染井吉野よりずっと早く咲くさきがけの桜。
色もかたちもしっかりとしていて、飽きることがありません。
寒さと暖かさがまだ往来する気候の中で華やかに咲いて、可愛らしさと凛とした趣が同居しています。
ちなみに江戸の桜ですが、たとえば『増補江戸年中行事』によると上野の東叡山に咲いていたのは、彼岸桜、秋色桜、大ざくら、糸ざくら、八重桜などなどと記され、ずらりと並ぶ名に目がとまります。
染井吉野一辺倒というよりは、様々な種類の桜が咲いていく、その移り変わる流れを追う様にして楽しんでいたことが伝わってまいります。
今年は染井吉野をこころまちにしながらも、様々な桜の流れをたどる。
流れを追う楽しみ、深めてていきたいと思います。
日迎えの花 灯の花
今年は椿の当たり年です。
様々な色や模様入りの椿が咲き乱れて、仰げばどの木にも力がみなぎり、圧倒されてしまうような数の花をつけています。
また、時季を終えて散った花で道がいっぱいに。壮観な景色が広がっています。
今回は、その力の宿る花を燭台の皿にいけて、灯の花に。
お彼岸には、日迎えや日送り、日の伴といって太陽の祭だったことを思わせるような習わしがあります。
長きにわたり、光と力を放ってきた星、太陽に捧げる、日迎えの花として、燭台に灯してみました。
彼岸の花
お彼岸は仏教行事ですが、日本独自のもの。
お供えの花として、今回は樒(しきみ)を瓶子(へいし)に入れました。
樒の別名には、「ひがんばな」の名もみえます。
樒は、お彼岸をはじめとして、仏前や、お盆、お墓などに用いられる花です。
古くは神仏両方に用いられ、伊勢神宮などでは花榊と呼ばれ、神事に使われるなど、邪気を払う力があると考えられてきました。
ぱちん、ぱちんと枝葉をハサミで揃えていると香気に包まれて、うっとりします。
ただ、全草は有毒なので、取り扱いに気をつけます。
樒
一つ一つの花を間近で見ると、王冠のように見えてきます。
香の花とも呼ばれるこの花は、最も原始的な構造をもっているのだとか。
ぐっとそばによって眺めていると、その原始、オリジンな力が伝わってくる花です。
第五十三話「四月 清明 穀雨」へ
桜は染井吉野、八重桜と進み、足元の花々もにぎやかに。
春雨の力を浴びて、春爛漫の勢いは頂点に向かいます。
広田千悦子
文筆家。日本の文化・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。
写真=広田行正
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