第三話 「啓蟄のこと」
2018.03.06
暮life
立春のひかりに目覚め、雨水の潤いに心が少し鎮まってきたあと土の道を歩くと、靴の裏の感覚がふんわりとやわらかくなっています。
ころぶとさぞ痛いだろうな、と思うほどコチコチに固まっていた冬の地面も
いつのまにか緩み、頑に閉じていた扉がひらきます。
小さないのちは目を覚まし、草木花の彩りも豊かに。
静けさの中に僅かに残っていた冬のなごりともそろそろ別れの時です。
旅立つ冬を想うさみしさは、そのままに。
空から大地から、よみがえって来るいのちの音に耳を澄まし、ともに歩きはじめる季節です。
大地のひらく音
子どもの頃、コンクリートの道の下がどんな風になっているのか、いつも考えていました。
分厚いかたまりを剥がしてみることができたら、と夢想し、押しつぶされた地面のことや、植物や小さな虫たちがどうなっているのか、気になって仕方がないのです。
それは今のようにほとんどの道路が舗装された時代とは異なり、雨にゆるみ、水たまりのできた道を長靴で愉しむ時間にも恵まれていたから。
土の息吹を感じる場所とそうでない場所の違いを感じていたのだと思います。
コンクリートで覆われた道があたりまえになり、はからずも土から遠く離れて暮らすことになった私達は、大地が開き、そこからたちのぼってくる得体の知れない力の気配に、残念ながらなかなか気づくことができません。
それでも赤信号を待つ間、会社に向かう道すがらに、ほんの少しだけでも、足元に気持を向けて歩くことができるなら、街路樹の下からわずかにのぞく土からも、立ち上る気配を感じ、今までとは違う芽吹きを見つけることができます。
例年以上に寒かった今年は、春の幕開けも思いがけないほど、かなりゆっくりです。
でもそのおかげで、いつもなら足早に過ぎていく季節に置いていかれるような気がして焦ってしまうところも、慌てることなく自分のペースで季節との折り合いをつけられそうです。
日陰ではふきのとうがひらき、沈丁花の香りは、まだ寝ぼけ眼の背筋をきりっと仕立ててくれます。仏教と関係の深いシキミの花のかたちも見事。地面を染めているのはオオイヌノフグリ。伝統色で見るなら「天色 (あまいろ) 」でしょうか。