花月暦

日本の文化・歳時記研究家の
広田千悦子さんが伝える、
季節の行事と植物の楽しみかたの
エッセイ

第四話 「春分のこと」

2018.03.21

life

長い夜は過ぎ去り、春分を起点にしてかわるのは光と闇の長さ。長い夜は過ぎ去っていきます。
ささやくような春の声も日毎にあちこちで大きくなり、生まれくるいのちの響きのシャワーを浴びます。
太陽の力をお祝いし、力をうけとりながら歩いていく季節です。
いきつもどりつしていた季節のためらいは消え、初夏へと向かって行く道のりはまっすぐに進んでいきます。

ウグイスの音ものびやかに谷に響いていい調子。
鳥の声が楽しませてくれるのは美しい音だけでなく、空間の広がりです。
私達は反響する音でその場所のイメージや距離感をはかっています。
いつもは誰もが無意識に行っていることですが、反響する音に耳を傾けて、小鳥たちのさえずりに耳を澄ませば、音で景色を観る時間になるでしょう。

最初は静かだった季節のはじまりも、みるみるうちに賑やかになっていきます。
それは、光がさしはじめるとあっという間に明けていく夜明けと似ています。
すみれ、ハナニラ、ほとけのざ、そして山桜、染井吉野が咲いたら「暑さ寒さも彼岸まで」。もう春は、後戻りはしません。
そこまできたら、ひとつふたつと数えられた春のきざしも、多すぎて指折り数えるには無理があるように思えます。

まだまだねぼけまなこの私達にとって、一気にやってきた流れが手に負えないように感じる時もあります。
勢いがありすぎて、圧倒されてしまうのです。
特に、疲れているとき、悩んでいるとき、迷いがあるとき、悲しい時は季節のうつろいに翻弄されてしまいます。
そんなときは、祝祭や植物、花の力を借りて、心をほぐしていきます。

たとえば足元に美味しそうに生えている蓬。
草餅はもちろんのこと、豆腐や山芋でのばして、擦り流しにしていただきます。
風味のよい青汁として、ぼんやりしている身体もしゃっきりと目覚めます。

蓬が興味深いのは、同じ道に生えているものでも場所により、香りが違うということ。
私の家の近くで香りが一番強いのは、決まって山の崖に生えているよもぎなのです。
香りだけでなく、葉のかたちも違っていることが面白くて、毎年、つまんでは確かめながら歩きます。今年は東京でも試してみたいと思います。

自然農法の方から教えていただいたことですが、植物はその場所の土はもちろんのこと、流れている水、そして何より、吹く風により、姿形も、香りも味も変わってくるそうです。なるほど、「風土による違い」ということばもあります。

いつも過ごしている場所にどんな風が吹いているか、窓を明け放ち、肌で感じ取っておかなくてはと思います。人間も植物と同じ、自然の一部ですから、同じように力を受け取っているに違いありません。

さて春分の頃には、強くなった太陽のまつりが集まっています。
たとえばお彼岸は真西に沈む太陽に手をあわせ、極楽浄土を祈るという日本仏教的いわれがある一方で、お日様に願う日という意味の「お日願」と呼んでいるところもあります。
昇り沈む太陽とともに歩く、というならわしはまさに太陽の祝祭。
ヨーロッパの復活祭では、早朝、山や丘に昇り、日の出を観るならわしがあるところもあります。世界中の人々が注目する力強い春分の太陽の光を、春霞がちょうどよい案配に包み、趣きのある景色を見せています。
スマホから目を離し、桜のゆくえとともに、堪能していきましょう。
春風に促されるように、すべてのいのちは目覚め、大気はいきいきとした生命力に満ちあふれていきます。多くの花々が咲いて、舞う蝶はリズムよく。場は軽やかに彩られていきます。

広田千悦子

文筆家。日本の文化・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。

写真=広田行正