花月暦

日本の文化・歳時記研究家の広田千悦子さんが伝える、
季節の行事と植物の楽しみかたのエッセイ。

第五話 「清明のこと」

2018.04.05

life

霞がかり、柔らかになってくる景色とは対照的に、草木花や小さな命は、いきいきと清らかに明るくはっきりとしてきます。
さまざまな自然のリズムが行き交い、にぎやかな歌が聞こえてくるようです。
静かな冬の記憶ははるか彼方へ。
いつのまにか意識はすでに、夏の方へと向かいはじめています。

4月には早々と散っているだろうと気をもんでいた染井吉野も、雨が少なかったおかげで、美しい姿を愛でる期間が思いがけず長く、今年はぜいたくな桜時間に恵まれました。
なごりおしさの中で、今年も花が散った後の萼(がく)の薄紅色、新葉の萌黄色へと衣替え。季節や人生は同じところに留まることなく、うつりかわるもの、と桜が上手に教えてくれています。

私の住んでいる三浦半島では、染井吉野の後を追いかけるように咲く山桜が遠くの山々を包んでいます。
ふわふわと淡い撫子色やマットな白が幾重にも重なり、この時季ならではの山色です。
霞がかかり、ほんわりした空気の中で、山々に咲く自生の桜の景色を眺めていると、いったいどれくらい前から人々はこの景色を眺めてきたのだろう、と気持は深まっていきます。山には特別な存在がいて見守ってくれている、と考えてきた日本人にとって、今以上に心揺さぶられる季節だったことだと思います。

山桜でなくとも、自然に生じるこの時季の草木花には、いつも以上の力を感じます。新緑にあふれる5月を迎える前、日光を透かし光る芽吹きは、どの草木もいきいきとしていて目をひきます。
花を生けるということは、自分や大切な人のために、大地の力をいただこうとした、本来そういう意味があったのだということを思い出すにちょうどいい季節です。

山に入り、花を見つけると特別な力が宿るものとして家に持ち帰り活けたという昔の人々の気持に近づいてみたくて、庭に咲いた山桜をいけてみました。

4月8日は灌仏会です。
花祭、仏生会など、いく通りの名前もあるこの日は、ブッダの誕生をお祝いする日です。色とりどりにしつらえた花御堂の中に、小さな仏様を置き、甘茶をかけいただく行事が行われます。花御堂を山のかたちにこしらえるのは、日本人の山への信仰があったからだ、という考え方も。ちなみに、灌仏会に使う水は、中国やインドではお茶ではなくお香を使ってつくる聖水でしたが、日本では飲用も可能な甘茶です。これは植物の力を自分の身体の中に取り入れたという気持が働いているのかもしれません。

世代によってお寺への想いも異なる時代になりましたが、ブッダのことばや教えなどへの注目度は高まっています。
古くからある日本人の自然への思いと、遠い国から伝わってきた仏教にまつわること。我が家では両方を重ね合わせてきた文化を大事にしたしつらいになりますように、と祈りを込めて、小さな仏像を野の花で飾ります。野の花々には事欠かない季節の間、たとえば旧暦の4月8日まで楽しんでもよいと思います。

第六話「穀雨」へ
穀物を育てる雨が降ります。雨が多いというよりは、ここからさらに勢いを増していく植物のエネルギーの要としての恵みの雨。草姿はひと雨ごとに伸びてひとまわり、ふたまわり大きくなります。

広田千悦子

文筆家。日本の文化・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。

写真=広田行正