第五十四話 「五月 立夏 小満」
2021.05.05
暮life
青の景
立夏を迎えて、晩春から夏へと続く道すがら。
若葉の梢枝もゆったりたおやかに揺れて、暑くも寒くもなく、過ごしやすい日々が続きます。
まだ太陽が高く登りきってしまう前の季節だから、朝夕に少しだけ斜光が残ります。
その光にのって家の中まで運ばれてきた草木の影が、ゆらゆらと揺れるのを眺めています。
それほど間を置かずに季節はうつりかわり、いずれまた湿度の高い梅雨の時期や厳しい日差しに照らされる真夏がやってきて、あっという間にこの心地よい空気感はまた過ぎ去っていきます。
こうしてすべてのものが移り変わるのがこの世の常だというのに、穏やかで過ごしやすいこの季節があたかも永遠に続くような、そんな気持ちになるものです。
このまま心地よい夢の中にいたいような、大事なことを見据える時間を持ちたいような、迷いがちな流れの中にある今の時代。
目の前の穏やかな日々を十分に愉しみながらも遠くを眺め、見通す心の奥行きを保つこと、その両方を軽やかにリズムよく楽しんで生きる術を身に着けるチャンスです。
両方を存分に味わい、生きるためのコツは足元にある草木花に目をとめて、眺めること、
富士山のような、はるか遠くの景色を時折、仰ぐこと。
この二つを忘れずに、くりかえし思い出し、少しでも行う一時を見つけることです。
なにものにも囚われすぎず、自分のペースで生きるのを支えてもらうための、頼りになる、そして一番簡単な方法だと思います。
春蘭の花
春蘭の花をたくさん分けていただきました。
品のある花色に目がとまります。
写真は袴をおとしたもので、春蘭の塩漬けをつくり、
春蘭茶やお吸い物に入れて、楽しむために下ごしらえしたもの。
昔はこどもたちが道草して、たくさん手に摘んでもちかえるほど、たくさんあったという春蘭は、日本在来の花です。
お茶席のおもてなしにと、よく支度されたものでしたが、春蘭がなかなか手に入らなくなり、現在は桜湯の方がなじみ深いものになっています。
春蘭の塩漬けにしたものを、少し塩抜きしてからいただくと花の形はそのままを保ち、凛とした姿。
最後に食べてみると、しゃくしゃくとした歯応えさえあります。
野の趣といわれる香りも面白味がありますが、丈夫でかたちを変えぬその花の様が何より心に残ります。
端午の節供の薬玉
今年の端午の節供のしつらいは薬玉です。
邪気や疫病、禍いを祓い、福を招くために柱や御簾などにかけたり、贈りものにしたものです。
端午の節供は他の行事と同じ様に時代を遡り、さまざまな土地の風習を眺めていくと、男の子の節供やこどもの日であるという意味に限らず多くの姿があります。
今年は、昨年から長く続くコロナ禍でありますから、数多くある端午の風習の中から、薬草摘みの、薬狩りの日にちなむものをお題にしたく、薬玉をしつらいました。
今回の薬玉は、春の小菊、縁起のよい南天の葉、ツツジの葉などを玉にして、あわび結び、叶結びの飾り房を下げました。
ジェンダーやLGBTなど多様性について盛んに話題にのぼる時代になりました。
生まれながら様々にある個性に寄り添う、行事の姿であればと思います。
藤
山の斜面に接する庭から藤の枝をいただいて、天に昇るような藤を壺に入れて。
あちこちに伸びる蔓は思いのほか柔軟で、やわらかく優しい手触りです。
触れるそばから、ぽとりぽとりと放たれる薄紫の小さな花にすっかり心はほぐれていきました。
菖蒲の花
端午の節供の習わしの一つ、菖蒲湯。
その菖蒲が淡い色の花を咲かせています。
大きな花をつける花菖蒲などと間違われることも多い薬草で、区分けるために名札に「匂い菖蒲」と書かれていることもあります。
香が強いのはほんのり赤みを帯びた根の部分で、切り落としてしまわぬようにお風呂に入れます。
旧暦の端午の節供は今年は6月14日ですから、その時ぐらいまで、菖蒲湯を楽しめたら、と思っています。
第五十五話「六月 芒種 夏至」へ
いよいよ今年も梅雨入りです。夏至は陰と陽の気がぶつかり合う時。
一方で、さまざまな種類の紫陽花が登場。雨の中で色に浸る季節がやってきます。
広田千悦子
文筆家。日本の行事・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。
写真=広田行正
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