花月暦

日本の文化・歳時記研究家の広田千悦子さんが伝える、
季節の行事と植物の楽しみかたのエッセイ。

第十二話 「大暑のこと」

2018.07.23

life

時は小暑から続く「暑」の真っ最中。
入道雲も湧く暇もないのではないかと思うような勢いで、猛暑が続く中、一年で最も暑いといわれている節気、「大暑」を迎えました。

これほど暑い日々が続くと、ぼーっとする時間も多くなり、南ヨーロッパのシエスタが必要な国になってしまいそう。
ラジオからは、今日もいのちにかかわるほど気温が高いと、聞こえてきます。

こうなってくると暑気払い、と呼ぶには少々、生やさしい。
もっと強めの「暑気封じ」「暑気除け」というような、神だのみ的な言葉がしっくりときます。今、盛んに行われている夏祭りにも、もともと暑気除けの意味が込められていることも多く、今年はそんな古の人々の気持やくらしをよりいっそう身近に感じる年と呼ぶこともできそうです。

暑さ除けの花供え

私は北国生まれで、もともと暑さが苦手なので、さまざまな暑気除けを試みます。
そのひとつは夏の花供え。器は、濃い緑色に包まれる草木が多い中、ひとりだけ涼しげな色をして揺れている芭蕉の葉を使います。
切ってもすぐに生えてくる筍のように、天に向かってぐんぐん伸びる芭蕉の力をいただけますようにと願いつつ、ハサミを入れていきます。真っすぐな気持ちを心がけたいときは四角く、華やかにたくさんの花を盛りたいときは包み込むようなかたちにします。
花を添えていると、バリ島の朝の花のお供えチャナンや、京都のある町の道端におかれるお盆の花のお供えものなどを思い出します。
場所や時代は違えど、花に込める人の祈りは、さほど違わず、たくさんの人が同じような気持で花と時を過ごしてきたことでしょう。今の時季、用意できる花は、一日花のムクゲや、涼しげな桔梗、手の届かない山の上の方から風にのり落ちていた葛の花びらや、ぼけの実、真弓の実など。
気負わず、少しずつの花や実を集めて添えます。
もちろん生け花と違って長くはもちませんが、このひとときの時間のために花や実をみつくろい、取り合わせを楽しみます。
なぜならできるだけ効率よく、コスパよく、長持ちするように、というような心の働きが要求されることの多い社会の流れの中で、あえてこういった時間を過ごすことに意味があると考えているからです。

暑さが厳しい日は、もちろん無理は禁物ですが、手を動かし、ほんの一瞬でも流れる時を留め、かたちは消えてしまうものに気持を向けて。
忙しいからできないと考えてしまうこともありますが、そういった時間を過ごすことが、かえって気持に余裕をうみだします。

青柑橘・花氷

青柚子、青夏みかんなど、柑橘類を絞った飲み物もさわやか。
また、目を愉しませてくれるのは、花氷です。
色とりどりの花で氷をつくります。
製氷機から出し、溶けていく氷の様子も趣きがあります。
ミントや金魚草の花等、エディブルフラワーでつくって、飲みものに入れて愉しみます。

浜木綿

以前住んでいた方が植えたのか、我が家の玄関をあけると、一番に目に飛び込んでくる位置に一本だけ浜木綿(はまゆう)が咲いています。
大きく長い葉や茎をのばし、凛として存在感たっぷり。花は王様の冠のようにも見えます。
古くは柿本人麻呂が歌に詠み、清少納言はお気に入りの草花として4番目にその名を連ねます。白色の葉梢(ようしょう)が、神様への捧げものであった木綿(ゆう)を思わせるからというのが名前の由来のひとつ。
その独特の風情といい、名前の源流といい、やはり私にとっても祈りの花。
家の扉をあけ外へと向かうはじまりに、一番真っ先に目に入るものの存在が、日々、どんな力を届けてくれているのか、浜木綿に教えてもらった気がしています。


第十三話「立秋」へ
暑さを越えて、秋の兆しへ。
大きな季節の節目を迎えます。実りもそろそろ見えてくるはず。
空は高くなり、遠くを眺める時間が、今から楽しみです。

広田千悦子

文筆家。日本の文化・歳時記研究家。日本家屋スタジオ「秋谷四季」(神奈川県)などで季節のしつらい教室を行う。ロングセラー『おうちで楽しむ にほんの行事』(技術評論社)、『鳩居堂の歳時記』(主婦の友社)ほか、著書は20冊を超える。

写真=広田行正