第十三話 「立秋のこと」
2018.08.07
暮life
ささやかな秋のきざし
二十四節気は、「秋に旅立つ」立秋です。
朝夕の空気の中に、ほんの僅かに交じり込む秋のきざしを感じ始める頃です。
でも、今年のようにこれだけ厳しい暑さが続くと、ちいさな秋の足音は、かき消されてしまいます。
白々と明けていく夜明けの音も、ヒグラシ、ミンミンゼミと続いてまだまだ真夏。
もう少し暑さが和らいでくれれば、眠りについている感覚も目覚め、季節のうつろいに気づくゆとりも出てくるでしょう。
そうかと思えば、ツクツクボウシがすでに7月末から鳴きだしています。
このあたりでは毎年8月中旬過ぎてからのはず。あまりに早い初鳴きに耳を疑いましたが、考えてみれば、今年は桜の開花も梅雨明けも早かったのです。
秋の訪れが早くても、不思議ではありません。
お盆のこと
八月に入ると、日本人にとって大事な行事の一つ、お盆がやってきます。
現在は13日から15日前後に行うのが、一般的ですが、古くは、一ヶ月、あるいは二ヶ月ほどかけて行う行事でした。
お盆が長かったということは、それだけ習わしも多いということです。
数あるお盆の習わしの中で、今年、特に気持を向けているのは道の掃除です。
お盆には、いつもは山や高いところから私達を見守ってくれているご先祖様が帰ってきます。草刈りや掃き掃除をして、ご先祖様が帰ってくる道をきれいにしておく、というのがお盆の道の掃除です。
お盆の間は、玄関の前をいつもとは少し違う気持で掃除してみます。今の時季、山の入り口にある私の家のまわりには、思いのほか木の葉が落ちています。
もうこんなに葉を落としているのは誰だろう、と見上げると、山桜の木。
すでに気の早い葉が1、2枚、色変わりしています。その山桜の向こう側に、空が見えかくれしています。
秋に向かって高くなりはじめた空を眺めながら、先に旅立った家族や友人のことを思いました。
遠くを見るということで、生まれる気持があるのだ、とあらためて知る時間になりました。
高野槙と禊萩
きれいに清めたあとに、しつらうお盆の花は、帰ってくる存在をお迎えするためのお供物です。本来は、近くの山や野、あるいは庭に採りにいくもので、山の草花に力や霊が宿っていると考えました。だから特別な気持で草花を摘み、大事に持ち帰るのです。これは、お正月の松迎えとも相通じるものがあります。
今年の我が家の盆花は、高野山から取り寄せた高野槙(こうやまき)と、庭の姫榊(ひめさかき)と禊萩(みそはぎ)です。
束ねるうちに高野槙のよい香りが手にうつり、清められていきます。
部屋の空気も、すうっと変わっていきます。
こうしてしたくをするうちに、お迎えする気持ちが初めて動き、整っていきます。自分の中にも清々しい気持がある、と気づくひとときです。
お盆の精霊舟
細めに編んで、李(すもも)、蓮の実、ほおずきなど、お盆にまつわるものを彩りよく入れていきます。最後に帆に見てた笹を差し込んで出来上がりです。
笹は、やはり霊力があり、ご先祖様や祖霊が宿りやすくなるための依り代だという考え方があります。七夕から続いて、盆棚などに使います。
お供物と花 柿の葉 風船蔓
お供え物の中に、故人の好物を添える、という方も多いでしょう。
私は、毎年のお供え物に、義母の好きだった風船葛(ふうせんかずら)の花を添えます。
手に入れることが難しい年もあるのですが、準備をするうちに明るく微笑んでいた義母の佇まいを思い出します。
こうしてほんのささやかにでも工夫をし、今は亡き人とつながるための時間をつくれば、私達はあたたかなものに包まれていきます。
見えるものだけでなく、見えないものにも気持を向けることで、心は広がり、狭い箱に入り込んでいたような思いも解き放たれていきます。
お供えするものは、年齢やライフスタイルによって同じ人でも変わっていくものだと思いますが、私にとっての「今」は、こうしなくてはいけないという決まり事はほどほどにして、故人や祖霊を身近に感じられる祈りのかたちにしたいと考えています。
柿の葉の上に添えた花は、無縁仏のためのお供えです。
お盆にお迎えするのは個人的なご先祖さまだけでなく、亡くなってから何十年もたって個性を無くした祖霊、そして無縁仏など、さまざまな存在をお迎えする機会でした。
どちらかというと、個人的なつながりが強い現代の中で、この「縁もつながりもない人」にもお供えするという考え方に気持が惹かれます。
確かに行き倒れなど、死が身近だった昔の人の視点とまっすぐに現代をつなげることはできませんが、心を込めるお供えものや、花を手向ける気持は、時代や暮らしにかかわらずかわりがないものでしょう。
お盆の草木花の扱い方には、さまざまな心配りと、幅広く花やお供え物を手向ける心のあり方があらわれています。
古いかたちに折り込まれたさまざまな想いを感じとり、あらためて光りをあてて。
そんな風にお盆を過ごしていけたらと思います。