第十八話 「霜降のこと」
2018.10.23
暮life
お日様のぬくもりのありがたみが、心の奥深くまで届く季節になりました。
七十二候も「霜始降」、「こさめときどきふる」と、なんだか寒々しいことばが続いていきます。秋の時雨もひんやりと冷たくなっていますから、そろそろ身体に気をかけてあげなくては、という気持がはたらきます。迷い、進まずにいた衣替えも一気に進むでしょう。
そのまま暦を指でたどっていくと、立冬が待っていることに驚きます。
今までに区切りをつけるような空気が流れていることを、はっきりと知る時です。
虫の声もいつのまにか消えていき、再びやってきた静けさの中。
今、まさにたくさんの草木花が実りをつけています。
あらためて気持を向けておきたいのは、過ごしてきた季節のなかで育まれた自分の中の実りです。何も実りがなかった、と悲しく思うときこそ、自然の中で、息を抜いて草木花の色とりどりの実を眺めることをおすすめします。
同じ力が自分の中にもはたらいてきたことをきっと感じることでしょう。
前回の季節は秋の芽生えに気づく季節でした。
今度は、内側に培われた力を自分の人生につないでいくための時。
気づきを深め、高め。実りを迎える季節です。
実り
強い台風のために樹々が塩害で葉を落とし、紅葉の彩りを心配している人も多いでしょう。
そのかわりに、という声が聞こえてくるかのように、今年は様々な草木花の実りが見事です。野バラの実、トベラの青い実、南天の実、野葡萄、カラスウリ、そして山茶花の実。
森の中にでかけなくても意外な葉陰で実りは見つかります。
アザミ 刺のある花
可愛らしい花に触れるには少し気合いがいります。
繁殖力も旺盛で、ほおっておくと庭でどんどん広がっていく力をもっています。アザミの名前の由来は、ギザギザの葉のきれこみの「ギザ」からことばが変化したものだという説や、沖縄のことばでアザが刺をあらわすことばだという説など傷つけるという意味のことば、アザムからなど、やはり諸説あります。触らないで、という強烈なオーラを感じながら、アザミを見ると決まって思い出すのは刺の無いアザミの話です。
伊豆七島の中の小さな島の中に咲くアザミには刺がないというのです。
若い頃、イルカと泳ぎに毎年訪れていた御蔵島という島で聞いた話です。
その島は小さな島には珍しく、豊かな水に恵まれています。
住む人々が穏やかで、それと同じようにアザミも刺がなく優しいというのです。
調べてみると、ハチジョウアザミという種類で刺があまり発達しない種類でした。
刺で自分を守る必要がなかったところで生まれた品種なのでしょうか。
70~80種あるというアザミにもいろいろな種類があります。
一般的には、強烈な刺のあるイメージのせいか、十字架から引き抜いた釘を埋めたとろこから生まれたキリスト教の聖花として、あるいは北欧では雷除けになるとか、魔女を払う力があるなどの逸話があります。節分に鬼を祓う日本の柊と同じように、人の近くにいて役割を担ってきた植物なのです。
そんな力に思いを馳せながら、三輪の花を瓦に生けてみました。
やわらかな花色と、立ち上がる凛とした葉の刺が相まってあたりの空気を変えていく精気を感じています。
石蕗の花
石蕗(つわぶき)の花は冬告花。夏のひまわりを思わせる明るい黄色が鮮やかで、この花が咲くたびに、私達の心をあたためてくれようとしているのかな、とありがたくなります。
春の毛むくじゃらの若葉は美味しくて、たくましくなった艶のよい葉は腫れ物ややけどを癒し、冬になると華やかにあたりを照らす、はたらきものの花です。
しかも日陰でも力強くいのちをつないで、私にとっては胆力を教えてくれる花です。
今回は、神棚の榊を入れる榊立てに生けてみました。
香草の花
今年はより一層、きちんと楽しんでみようと、使っていない香炉に入れて、生花の香を楽しみます。
月待ち
当然、その月のかたちにより、のぼってくる時間が異なり、満月なら日の入りとほぼ同じ頃のぼってくる夕方頃ですが、二十三夜、二十六夜となると夜も遅く深まる頃。
これを待ちながら時を皆で過ごすという、悠々たる時間の使い方です。
たとえば、次の二十三夜は10月31日になり、月の出は23時前頃、二十六夜は11月3日になり、なんと夜中の2時を回った頃となります。
月を祭る、という意味も込められていたこの行事。盛んだった時代はそう遠くありません。
草木花は眠っているように静かで、見方によれば、反対に月明かりの下で冴え冴えとしているような姿で。
昼間と違ういのちの表情を楽しめる夜半です。
昔の人と同じように夜中まで月を待つことはなかなか難しいかもしれませんが、それでも星のめぐりに寄り添いながら生きる時間軸に思いを馳せてゆったりと。
せめて月を眺め積み重ねてきた先人の思いにあやかり、暮らしていくことができればと思います。