〈北海道ガーデン街道 vol.2 秋編〉第四話 紫竹おばあちゃんの夢から生まれた花園 「紫竹ガーデン」
2018.11.13
旅travel
2018年9月、震災の風評で北海道ガーデン街道が寂しい状況と聞き、急きょ、秋真っ盛りの帯広~旭川を旅してきました。帯広4件目は北海道ガーデン街道一の有名人、紫竹昭葉さんが作った、花いっぱいのガーデンへ。
夕暮れ間近のマジックアワーに訪ねたのが、「紫竹(しちく)ガーデン」。
昨年夏にはルートの都合上伺えず、今回が初めての訪問です。
ガーデンに入ってまず目に飛び込んで来たのは、草花とかぼちゃで彩られた「テーブルガーデン」。座った状態で見やすいので、車いすの方にも植物を楽しんでいただけるようにと、考えられたデザインです。
「花の径」
季節ごとのさまざまな花が咲き誇る小道が入り組むガーデン。
紫竹ガーデンは代表である紫竹おばあちゃんこと、紫竹昭葉さんが60代で残りの人生をかけて一発奮起。一から庭づくりを始めて、来年(2019年)で30周年を迎える、昭葉さんの夢が詰まったガーデンです。
昭葉さんは63歳の時、『子供のころに遊んだ、野の花が咲く野原のような風景を作りたい』という思いから、十勝平野の真っただ中にある、15,000坪の土地を入手。当時は数本の木と小さな家が建っているだけのガランとした場所だったといいます。
9月の終わりの紫竹ガーデンは夏の花と秋の花が同時に見られる時期。白い草花だけを集めた「ホワイトガーデン」では水無月(ピラミッドアジサイ)と秋明菊(しゅうめいぎく)、ダリア、竜胆(りんどう)が咲き誇っていました。
「宿根ボーダーガーデン」
150mに渡ってさまざまな宿根草が植えられた小道。
「白樺並木の散歩道」
十勝平野と紫竹ガーデンをさりげなく繋ぐ、白樺のパーテーションです。
併設のカフェにも、庭で摘んだたくさんの花が飾られていますが、昭葉さんはお客様のために花を摘むのは迷わずできるけど、ご自分のために摘むのはためらって、なかなか摘めない、と。
イヌサフランとも呼ばれる、薄紫のコルチカムが満開。
庭仕事をしていると足も腰も痛くないと、今でも植物と過ごされていらっしゃいます。
ガーデンや植物への思いをメッセージにしてくださいと、お願いしたところ、愛用の筆ペンでサラサラと。「只管遊華(しかんゆうげ) 花は友達 そして貴女と私も花友達ネ」人生と花の大先輩からいただいた、すっと心に届く、軽やかで、温かい言葉です。
夕暮れの日高山脈。もうすぐ十勝平野は雪に包まれて、真っ白な世界に。
ガーデンは冬の到来とともにクローズになりますが、雪は植物たちにとって、とても大切なものだと昭葉さんは仰います。
雪が反射した光が木々を隅々まで照らし、清浄なものとし、雪に包まれた土は栄養を蓄えて、植物が育つ力となる……雪国ならではの知恵がここにはあります。
次のオープンは4月末。その時には雪に守られて育った、ムスカリやクロッカス、水仙にチューリップといった球根植物が次々と開花して、それは華やかな春になるとか。今度は春にまた訪れたいと願いながら、十勝を後にしました。
次回は富良野の「風のガーデン」へ向かいます。
北海道は元気です。
北海道胆振東部地震の一報を知った時、まず思い浮かんだのは、私の北海道の唯一の知り合いであるガーデン街道の皆さんでした。
被災の状況が報道される中、あの庭はどうなっているのだろうかと心配が募り、お目にかかったガーデナーの皆さんに連絡を取り、状況を伺いました。
判ったのは、震災発生時は停電こそあったものの、どのガーデンも数日後には通常に近い公開を始めたこと。
震災の影響はほぼ無く、安全だということ。
でも、北海道の震災ということで、帯広も旭川も被災しているように思われて、入場者が激減していること。
花屋としてできることは何か。
被害にあわれた方々に寄付をすることもひとつの方法だけれども、花屋は花屋のやり方で応援する方法はあるだろうか…
何より、紅葉が始まった美しい秋の庭が、人の目に触れないまま冬じまいしてしまうのは本当に惜しい。
こんな時だからこそ、植物が持つ力が役に立つのではないか…
そんな思いから、北海道ガーデン街道の魅力をお伝えすることで、ひとりでも多くの方にガーデンを知って、訪ねてもらうことが、花屋にできる復興のお手伝いではないかと考え始めました。
「微力だけど無力じゃない。」
かつて神戸の震災時に50ccバイクに乗って、被災者が欲しいものを細かく聞き取りながら、必要な物資を届けるボランティアをなさっていた作家の田中康夫さんの言葉です。
大きな力にはなれないけれど、私たちにできることをやってみる。
それが今回の旅のテーマです。
震災発生から20日後、植物も人も元気な「北海道ガーデン」の姿を7回に渡ってお伝えします。